初夢

1月4日(土)

今年は急な予定も入らず、穏やかなはじまり。

「一富士、二鷹、三茄子」と、昔から初夢のことをいうが、初夢のことを調べてみると、四葬式、五雪隠(トイレ)なんていうところもあるらしい。

普段の夢でも見ないのに、そんな初夢見ることなんて・・・。

 

今年のNHK大河ドラマは、『軍師官兵衛』。
そして、来年が井上真央さん主演で『花燃ゆ』と発表され、吉田松陰の妹が主人公だと。

吉田松陰の出て来るドラマは、これまでいくつか見たことがあるが、僧月性は出てきても、宇都宮黙霖が登場したのを見ることがない。

このたび宇都宮黙霖が登場することを期待する声も少なからず出てきているようで、NHKのホームページに「ご意見・お問い合わせ」というのがあったので、そのことを意見させていただいた。

無理かも知れないけれど、大河ドラマで宇都宮黙霖が取りあげられたらなぁとの夢を描いて。

松陰の出会った頃の黙霖は30代。
もし出て来るとしたら、誰が演じるかなぁと。

 

今日、正月用の荘厳を片付け、明日から通常の法務に。

いずれにしても、今年も念佛日和な毎日を。

2014年1月4日 | カテゴリー : 石泉・黙霖 | 投稿者 : sentoku

広南劇場

10月19日(土)

昨日の中国新聞に紹介された『宇都宮黙霖物語』

広南中学校文化活動発表会「広南劇場」のなかで、3年生が発表。

予定では11時ということだったので、法事と重なり観ることはできないかなと、とりあえずビデオを客席にセッティングして、法事に。

法事が終わり、次の12時の法事までにビデオを回収に行こうと思っていたら、少し開始がずれたようで、到着するとちょうど2幕目に入るところ。

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黙霖の「采女(うねめ)」という幼名。

男の子なのにどうしてこんな名前がつけられたのだろうという疑問から、この物語が作られたそう。

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その理由は明らかではないが、この劇では『万葉集』のなかにある、宮中へと出仕する“采女”への想いを歌った大伴宿奈麻呂の、

うち日さす
宮に行く児を
まかなしみ
留むれば苦し
やればすべなし

この歌をヒントに両親の名前に込めた思いを表した。

 

少年時代は恵まれていなかったかも知れないが、この長浜で叔父の常諦に勉強を教わり、石泉文庫に収められているたくさんの書物に出会い、その才能が開花。

病気で聴覚を失い、ことばも。
それでも、志を高くもった黙霖。

吉田松陰との往復書簡がなかったら、日本の歴史は変わっていたかも。

 

保護者・地域の方々の前で披露した創作劇。

一回きりで終わるのも惜しいかな。

 

その他、1年生が「食べることは生きること」、2年生が「人は食べるために働くのか」というテーマで発表。

明日『宇都宮黙霖物語』

10月18日(金)

今日の中国新聞朝刊の呉・東広島版に広南中学校の記事。

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明日、広南中学校の文化活動発表会で、創作劇『宇都宮黙霖物語-旅立ちの章-采女15歳」が開かれると。

15歳の黙霖と同じ年頃の中学3年生が、「采女」という幼名に込められた親の願いを演じるそう。(何と15秒間のCMまで!

 

観たいのは山々だが、今日お聞きすると、上演は11時頃になるそう。

明日は11時に法事の予定が・・・。

 

あとでビデオ観賞となるかな。

時間の許される方は是非ご来場を。

 

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急に寒くなってきて、報恩講でお参りした小坪地区でも柿が色づいてきた。

お互い風邪などひかぬよう、からだに気をつけて。

宗学院研修旅行 & 仏教壮年会例会

10月8日(火)

台風が近づいている。

ただ、夕方まで雨が降らず、午前中目一杯小坪地区の報恩講参り。

そして、午後からは京都より宗学院のみなさんが、研修旅行で当山専徳寺と石泉文庫を訪問。

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宗学院は大正13年に設立。

その発案者の一人、是山恵覚和上が御自坊の光宣寮より石泉僧叡和上の著述を出版したことによって、それまで異端的に見られていた石泉が再評価されることに到った。

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さすがにこんな曇り空では文庫のなかは真っ暗。

本堂へ主な著述は運んでおいたので、ゆっくりご覧いただけてよかった。

 

そして、今夜は仏教壮年会の例会。

今日は報恩講のご縁でもあったので、金子みすずさんの「お仏壇」の詩をお味わい。

 お仏壇

お背戸(せど)でもいだ橙(だいだい)も
町のみやげの花菓子も、
佛さまのをあげなけりゃ、
私たちにはとれないの。

だけど、やさしい佛さま、
ぢきにみんなに下さるの。
だから私はていねいに、
両手をかさねていただくの。


家にやお庭はないけれど、

お佛壇にはいつだって、
きれいな花が咲いている。
それでうち中あかるいの。

そしてやさしい佛さま、
それも私にくださるの。
だけどこぼれた花びらを、
踏んだりしてはいけないの。

朝と晩とにおばあさま、
いつもお燈明(あかり)あげるのよ。

なかはすっかり黄金(きん)だから、
御殿のように、かがやくの。

朝と晩とに忘れずに、
私もお禮(れい)をあげるのよ。
そしてそのとき思うのよ、
いちんち忘れてゐたことを。

忘れてゐても、佛さま、
いつもみてゐてくださるの。

だから、私はそういふの、
「ありがと、ありがと、佛さま。」

黄金の御殿のようだけど、
これは、ちひさな御門なの。

いつも私がいい子なら、
いつか通ってゆけるのよ。

 

報恩講参りで、午前中ずっと何方かのお宅のお仏壇と向き合っている。

それぞれのお仏壇にお礼をあげながら、いろんなご縁をいただくとき、ふとこの詩を思い出す。

 
 

例会が終わったら、

 
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ちゃんとお供えをお下がりに。

 

台風で心配ななか、ようこそのお参りでした。

石泉文庫虫干し法座 4日目

7月19日(金)

石泉文庫虫干し法座、4日目。

朝席で御満座。

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今日も引き続き、石泉僧叡和上の信心のお話。

御講師のお寺、西教寺のご門徒さんも一緒にお聴聞。

 

譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇

阿弥陀さまより届いた願い(光)。

光が届いたからこそ、真っ暗闇だった自分の姿が見えてくる。

 

夕べ聞かせていただいた妙好人 浅原才市さんの、

罪造り 罪つくる人は 仏なり
罪つくらざる人は 地獄なり
知識の教えを聞かぬから

自分の姿を知ったから、この教えを聞かせていただく。

有り難いご縁をいただいた。

 

法座が終わると、石泉文庫へ本をお返しに。

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石泉文庫までの車の通らない細い道。
みんなで運び、文庫では2階へ手渡しで上げていく。

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すべてがずっと伝わってきた昔ながらの手作業。

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こんなに暑いなか、ご協力ありがとうございました。

また、ようこそのお参りでした。 

 

南無阿弥陀仏

石泉文庫虫干し法座 3日目

7月18日(木)

石泉文庫虫干し法座、3日目。

今日も朝席が終わると、昨日の残りの半分を虫干し。

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朝のご讃題

「現世のすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし。〔中略〕衣食住の三は念仏の助業也。これすなはち自身安穏にして念仏往生をとげんがためには、何事もみな念仏の助業也。」  (法然聖人『和語灯録』)

この念仏と助業の関係を、僧叡和上は安心の上では念仏ひとつ、助業は行儀(念仏者の生きざま)の上で語られると説いたところ、それが大瀛門下と助正論争に発展した。

 

法然聖人の念仏も親鸞聖人の念仏も一緒。
そして、仏教の中の浄土真宗。

これが僧叡和上の大きなスタンス。

 

如来よりいただいた「お念仏」。

大切なものだからと、お仏壇にそっとしまっておいたら何のことやら。

大切なものだからこそ、いつも心に、そして口に。

身のまわりのすべてがお念仏のご縁。

 

虫干しの様子を見せて欲しいと、午後からチョコチョコ尋ねてこられた。

俳句をしている方、歴史の好きな方。

これも、お念仏のご縁となれば。

 

3時から再び虫干しした本の片付け。

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2日間、良いお天気で無事干せた。

 

夜席では、僧叡和上の信心のお話を聞かせていただく。

久しぶりに僧叡和上の話を聞かせていただき、まだまだ勉強させていただかなければ!と。

 

今日の午後、昨日干し終わった僧叡和上関係の本をパラパラと見ていると、いくつか合わさった本の中に、『読錍領辞』なるものを見つけた。

その結びには、

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「光明叡尊者
      侍者下」

と。

「光明叡尊者」とは、光明寺僧叡?

大瀛和上が三業惑乱の際に著された『横超直道金剛錍』。
ここに僧叡和上が序文を書かれているのは知っていたが、これはその草稿本を読んで僧叡和上が添削をしたものか?
そんな本が出てきた。

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まだ、パラパラとしか見れていないが、

仏の三心  尊意今少し御考ありたく候。

なんて一節が出て来る。

尊者

「光明寺僧叡」と名告ったのは、寛政12年のみ。

40歳にして、誰から見ても「尊者」だったんだろうなぁ・・・と。

これが僧叡和上のことであればの話。

 

明日の朝席で御満座。

それが終わると、文庫へみんなでお返しする。

また、汗をかきかき、お念仏。

お誘いあわせてお参りを。

 

石泉文庫虫干し法座 2日目

7月17日(水)

石泉文庫虫干し法座2日目。

朝席が終わると、みんなで石泉文庫から本を運ぶ。

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今年も広南小学校の6年生のみなさんがお手伝い。

 

そして、本堂で「パン!」と本を叩いては、ロープにひっかけて干していく。

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たくさんの蔵書。

全部を一度に干しきれないので、今年の分は蔵書の半分。

そして、来年は残り半分。

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本堂いっぱいに干される姿は、例年のことながら有り難い。

 

干す作業の後、石泉文庫についてお話をさせていただく。

難しい本がずらりと並ぶなか、時折こんなのを見つける。

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「きんちゃく」

僧叡和上の『玄義分聴記』の裏表紙。

 

『学僧逸伝』という本に、僧叡和上がサルを飼っていて、和上の留守中、メガネをかけて朱で何やら書いていたものが残っていると紹介されていたのだが・・・。

 

朝の虫干しと法事が一段落ついて、外に水やりに出ると、

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先日植えたひまわりの里子たち。

りっぱなフタバをのぞかせた。

 

午後3時から干した本の後片付け。

一切経は紐でしばり、木箱に入っていた蔵書は目録と照合。

 

そして夜席。

昨日に続いて、僧叡和上から慧海-福間浄観-多田蓮識-信楽峻麿-御講師へとつながるお念仏の話を聞かせていただいた。

「大地に足がついていない」(多田蓮識)

私の歩みがお念仏。

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虫干しのことで、もっと楽な方法、たとえば燻蒸とか今ならいろいろあるではないかと、以前指摘を受けたことがある。

ごもっともなことではあるが、それでは何も伝わらない。

ずっと受け継がれてきたものを、せっせと汗を流して作業する。

大変な作業であるが、みんな輝いている。

お念仏が輝いている。

 

明日も朝席が終わると、虫干し作業。

お誘いあわせてお参りを。

石泉文庫虫干し法座 1日目

7月16日(火)

何となく違う朝・・・。

昨日まで聞こえなかったセミの声が一斉に。

何の相談があるわけもないだろうに、不思議なこと。

 

午後から総代・仏教壮年会の方々が集まって、虫干しの準備。

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本堂の端から端へロープをピンと張る。

これが緩いと本の重さでダラリと下がってしまう。

 

夜席から石泉文庫虫干し法座。

このたびの御講師は、呉の西教寺 岩崎智寧師。

前住職の岩崎正衛師も、以前この虫干し法座のお取り次ぎをしていただいたことがあるそうで、有り難い初めてのご縁。

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ロープの張られた不思議な光景のなか、自己紹介を交えながら、自ら歩んでこられた道をお聞かせいただく。

信心とは生きる姿勢(死ぬ覚悟)

このたびのご縁を通して、石泉僧叡和上の念仏を大切にする姿勢を改めて。

 

明日は広南小学校6年生が、地域学習で虫干しをお手伝い。

この虫干しから、どんなことを感じてくれるだろう。

 

明日もお誘いあわせてお参りを。

石泉文庫見学

3月13日(水)

今日は雨のなか、宗学院に通っている組内寺院の御住職が、学友と一緒に石泉文庫の見学に。

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専徳寺で少し石泉和上の話をした後、石泉文庫へご案内。

文庫のなかは照明がないので、こんな日は真っ暗。
懐中電灯を使ってお聖教を手に取る。

宗学院で講録(親鸞聖人の著作に関する講義の記録)を学ぶ方々にとって、ここは知識の宝庫。

今の時代、どんどん便利になり、こうした講録が収まった『真宗全書』も、国会図書館ホームページ近代デジタルライブラリーで閲覧出来るようになったが、それでもまだまだ文庫のなかに眠ったものも存在する。

 

20数年前に大学の卒業論文を書いた頃、貴重書のためコピーが出来ず、また今のようなデジカメもなく、卒業論文を書くための資料集めに石泉文庫の本を2日で3冊ほど書き写したら、夕飯の茶碗が持てなくなった。(※字は右手で書くが、箸は左手で持つため。)
それで、ワープロを購入することに。

そんなことを思い出す。

不便さを知っているから、便利だと感じ、ありがたいと感じる。

時には不便なこうした昔ながらの場所へやって来るのもよろしいかと。

広南小学校3年生 石泉文庫見学

2月4日(月)

一昨日は春の陽気。昨日も少しその名残があったが、今日は雨が降り、少し肌寒い。

そんななか、傘をさして広南小学校の3年生が、石泉文庫を見学に。

先月(1月17日)の石泉文庫の消防訓練に参加して、いろんなことに興味をもったようで、内部を見てみたいと。

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文庫の2階は薄暗く、階段も急なため、怖がりながらも5人ずつ順番に上がって、文庫を見学。

上がってみると、初めて見る石泉文庫の本にみんな興味津々。

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特に宇都宮黙霖の書を手に取り、読めないけれどもきれいに書かれた字に感動。

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「聾僧 黙霖 覚了」

見学後、専徳寺に場所を移し、プロジェクターを使って宇都宮黙霖の生涯を紹介。

まだ日本史を習っていない3年生には、「尊王攘夷」はなかなか難しいかな?と思いながらも、みんな最後まで一生懸命聞いてくれた。

 

大病に冒され、耳が聞こえなくなり、大変な状況にもかかわらず、自らの大義を究めていく。

その頃から名告った「黙霖」という名前。

「霖」という字を調べてみたら、「霖雨蒼生(りんう・そうせい)」ということばが出てきた。

苦しんでいる人びとに、救いの手を差し伸べること。また、民衆の苦しみを救う慈悲深い人のこと。

霖雨(長い雨)が恵みの雨となり、枯れかけた草木を助けるところから出来た熟語だそう。

喋ることは出来ないけれど、黙って苦しんでいる人たちを助けたい!
恐らくそんな由来がこの名前にあるのだろうか。

 

生涯を通し、この方の人生は決して恵まれた状況にはなかったかも知れないが、石泉文庫の本には恵まれた。

歴史上、それほど大きく取りあげられることはないが、この人がいなかったら、今の日本はどうなっていただろう。

そんな人を身近に感じた3年生。

自分の好きなこと、やりたいことを最後までやり遂げられるかな。黙霖のように。

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