熨斗目蜻蛉

9月9日(土)

今朝もアヤメの周りが掘り起こされて。。。

その他にも所々小さな穴が見つかるけれど、アヤメのところだけがグチャグチャ。

とりあえず、アヤメの根は無事なので、土を入れて元に戻す。

これで3度目。
ただ、相手が分からなければ対処しようもないので、久しぶりにトレイルカメラを夕方設置。

 

そして、玄関先に戻った時、小さなトンボが一匹枝に止まる姿が。

結構長いこと止まっていたので、写真に収め、何トンボか調べてみる。

ノシメトンボ (熨斗目蜻蛉)

アキアカネと同じアカネ属。
赤トンボなんだけれども、赤くならない赤トンボなんだそう。

また、赤トンボは、成熟したオスだけが赤くなるそうで、それで夏場は真っ赤な赤トンボを見ないわけだと納得。

 

「ノシメトンボ」は、漢字で「熨斗目蜻蛉」と書くそう。

「熨斗」は知っているけれど、「熨斗目」とは何?

「熨斗目」とは、江戸時代には武士が裃の下に着ていた小袖に用いられていたようで、肩や裾などに大きな横段模様がある着物を表しているそう。トンボの翅の先に色が入っていることから、熨斗目蜻蛉と呼ぶのだそう。

知らないことだらけだけど、そうやって知ってみると、いろいろと学ぶことも。

 

お寺の境内にいるだけで、いろんなことを学ぶご縁を。

 

菩提樹

8月25日(金)

昨日は午後から総代会。

御内陣修復、今後の予定について。

『念佛日和』と「おそなえワークショップ」のご案内も持って帰っていただいたので、近々みなさんのもとへ。

暑い中をありがとうございました。

 

そして今日、昨日届いた鉢を植え替え。

今月末までの期間限定ポイントを利用して、スリー・マハー菩提樹の苗木を入手。

《スリー・マハー菩提樹》とは、スリランカのアヌラーダプラにあるインド菩提樹の名称。
紀元前3世紀、アショーカ王の息子マヒンダ僧と娘サンガミッター尼がスリランカを訪れた際、お釈迦さまの教えと一緒に、ブッダガヤでお釈迦さまが悟りを開かれた菩提樹の枝をもたらし、デーヴァーナンピヤ・ティッサ王が当時の首都であったこのアヌラーダプラに植樹したと伝えられる聖木。

菩提樹と言えばすぐにブッダガヤの菩提樹を思い浮かべるけれど、ブッダガヤの菩提樹は5世紀頃の仏教弾圧により失われ、現在のものは近年になってアヌラーダプラのスリー・マハー菩提樹から育てられた菩提樹なのだとか。

そのアヌラーダプラのスリー・マハー菩提樹の種から育てられたのが、このたび届いたスリー・マハー菩提樹の苗木だそうで、2,000年以上の時を経て、お釈迦さまの菩提樹をお迎え。

 

3年前、ステイホーム中に菩提樹・無憂樹・沙羅双樹の三大聖樹の種を入手し、植えてみたけれど全滅。。。

ところが、菩提樹は苗を購入することができるようなので、このたび育ててみることに。

立派な葉っぱ。

暑い地方の樹だから、外に出しっぱなしで良いのかと思えば、そうもいかないよう。
高校球児も日焼け止めクリームを塗って日焼け対策をする時代。
と言うよりも、そうしなければならない日差し。。。
葉っぱも焼けないよう、夏は日陰で。

とりあえず、この冬を無事乗り越えて、元気に育ちますように。

世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ

 

白いカエル

8月18日(金)

朝、境内に水撒きしていると、クロガネモチの木の根元、ツワブキの葉っぱの上に白い何かが。。。

白いカエル!

カメラを取りに戻り、とりあえず撮影。

岩国の白蛇と同じようなアルビノのカエルかと思ったけれど、

目が赤くなく、黒だったので、これはアルビノではなさそう。

しばらく見ていると、だんだんと色が迷彩柄に。

そして、目の前のクロガネモチの木に飛び移る。

すると、木に溶け込んで。

 

調べてみたら、ニホンアマガエルがまわりの白いものに一時的に同化して白くなったものらしい。

緑のツワブキの葉っぱの上では、あまりにも目立ったけれど、その直前まで境内の白砂の上を移動するのに白くなっていただけなのかな。

 

ネットで調べると、白いカエルは幸運をもたらすだとか、縁起が良いだとか、そんな言葉がいっぱい。

カエルが白くなったのは、たまたままわりが白かったから。

 

そこで「迷信」について調べてみたら、興味深い論文を。

『祖父母の語り聞かせの教育』――戦前期の安芸門徒家庭のばあい―― 古川和子
  (https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/24299/files/21274

近世以前の呉地方の庶民の言語生活は、お説教を「聞かせてもらう」生活が中心であったから、今日想像する以上に正確に聞き取る訓練ができていたし、わかりやすく印象的に話す力が育っていたように思う。・・・安芸門徒とは何なのか、これを問い続けたい問題であるが、家庭における宗教的なしつけとしては、「殺生をしない」「感謝の気持ちを持つ」「迷信の否定」の三つの柱があったと思う。

白いカエルにご縁をいただいた。

 

 

 

呉東組法中会 セミのいのち

7月2日(日)

今日は青空の広がるいい天気に。

ネジバナ、3本咲いている内の1本が捻れていない。
こんなふうに捻れないものもあるのだそう。

 

昨日の御法事での法話で、セミの話を。

先日、Instagramに投稿した穴掘り名人。

朝、ヒマラヤスギの下で穴を見つけ、覗き込んだらセミの幼虫のお尻が見えた。
セミの幼虫って、お尻から出てくるの? 夕方出てくるんじゃないの?
と思いながら見ていたら、穴の中で向きを変え、土を抱えて出てくる。
そして、穴のほとりに土を出して、また穴の中に入っていく。

そして何度も何度も繰り返し、休みもなく、穴をずっと掘り続け、昼に見に行っても掘り続け、夕方姿はないかなと思いながら行くと、今度は穴から外に出てひっくり返っていた。

ひっくり返ってもがいていたので、側の木の根元にそっと置いてあげたのだけれど、翌日羽化することもなく。。。

 

蟪蛄けいこ春秋しゅんじゅうらず、伊虫いちゅうあに朱陽しゅようせつらんや。(曇鸞大師『往生論註』)

セミ(蟪蛄)という虫は、暑い夏に地上に出て来て、その暑い夏に命を終えてゆく。
だから、春や秋、ましてや冬という季節を知らないでいる。
と言うことは、その虫は、今が朱陽の節(夏)であることを知ることができるでしょうか?

私たちは春夏秋冬を知っているから、今を暑いと感じている。
また、数十年前の夏を知っているから、今の暑さを異常と感じている。
でも、このセミの幼虫にとっては、今を暑いと感じていないかも知れないし、そのあと羽化することも、死んでいくことも知らないかも知れないで、ただただ穴を掘っていたのかも。

羽化できずに可哀想。。。と思ってしまうのは、こちらがこのセミのそのあとの姿はこうなるであろうと予測し、勝手に思っていたから。

これだけの穴をずっと掘り続け、それで力尽きて命を終えていったとしても、そのセミは命を精一杯生ききったのかも知れない。

そんなことをふと思いながら。。。

 

今夜は川尻光明寺にて呉東組法中会。

コロナ以前の組内活動に少しずつ戻りつつ。

丸葉万年草

6月20日(火)

NHKの朝ドラ『らんまん』の今週のサブタイトルが「マルバマンネングサ」。

今朝の放送では、結婚を決めた万太郎と寿恵子・竹雄が、故郷の土佐佐川へと向かう途中、マルバマンネングサを。

6月に5弁の黄色い星のような小さな花が。。。と、放送で。

 

コロナ禍の4年前、薄墨桜の下にグランドカバーとして、スナゴケを育てようと試みたけれど、ネコに荒らされたり、なかなかうまくいかず、諦めてグランドカバーを調べていて、いろいろと探している時に、「セダム」と呼ばれる多肉植物があることを知った。

ただ、桜の下に植えるのはセダムではないかなぁと思い、ムラサキサギゴケにしてみた。

そして、たまたま鐘楼の脇に置きっぱなしになっていた鉢に、セダムがぎっしりと詰まっていたのを見つけ、ただ何となく奥の方に地植えしてみた。

それから3年、そのセダムに黄色い花が咲き、またそこから離れたシモツケやコデマリの下にも根付き、黄色い花が咲きだした。

昨日の放送で、サブタイトルに「マルバマンネングサ」の名前を知り、

この名を調べたてみたら、何とその黄色いセダムと思っていた花がマルバマンネングサと。。。

しかも、「Sedam Makioi Maxim.」(牧野植物図鑑)と、学名に牧野富太郎の名前が付いている。

これは、ロシアのマキシモヴィッチ博士に標本を送った中にこのマルバマンネングサがあり、それが新種と認められ、マキシモヴィッチ博士が「牧野のセダム」と名付けたためだそう。ちなみにそれは寿恵子と結婚した年だったとか。

朝ドラ『らんまん』がますます面白くなってきた。

 

今日の中国新聞朝刊に、明日発売の坂本龍一さんの最期の日記『ぼくはあと何回、満月を見られるだろう』の一節が紹介されていた。

かつては、人が生まれると周りの人は笑い、人が死ぬと周りの人は泣いたものだ。未来にはますます命と存在が軽んじられるだろう。命はますます操作の対象となろう。そんな世界を見ずに死ぬのは幸せなことだ。

と記されているのだそう。

命と存在

力むことなく、いろんな命に触れ合いながら、命と存在、伝えることができたらいいなと。

 

 

梅雨入り

5月29日(月)

まだ5月と言うのに、今年は早くも梅雨入り。

これから大雨の予報も。

今年は梅雨明けまでが長く感じそう。

 

今日御法事のお参り先で。

ご主人の満中陰の御法事で、法話の途中、親鸞聖人得度の時の

明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは

を「明日ありと」と、こちらが言葉に出した途端、前に座っておられた御夫人が一緒に「思う心の・・・」と続きを一緒に仰ってくださった。

 

そして、法事が終わると、「これを見てください」と奥から出してくださった。

亡くなられた御主人が趣味で作られたものだそう。

折角なので写真に撮らせてくださいとお願いすると、もう一つ見てくださいと。

黒白二鼠こくびゃくにその譬え

《参考》浄土真宗本願寺派総合研究所 「甘い蜜」

御法義を喜んでおられたのでしょう。
故人のお導き、そのまんまの御法事と。

 

聞くところによると、この材料の竹を切って、乾かして制作するまでに4年もかかるのだそう。

 

 

親鸞聖人御誕生850年

5月21日(日)

親鸞聖人御誕生より850年。

今日で本願寺の慶讃法要も御満座。
G7サミットも閉幕。

今朝の新聞折り込みチラシの中に、毎年恒例の呉東組総代会・親鸞聖人讃仰会(協賛 呉東組仏教婦人会連盟)の合掌チラシ。

ちなみに、こんな俳句があるのを知った。

明易あけやすや 花鳥諷詠かちょうふうえい 南無阿弥陀 (高浜虚子)

「明易」とは、夏至前後の短い夜、夏の夜明けが早いとの意だそう。
「花鳥諷詠」とは、高浜虚子の造った俳句理論。

 

ここのところ、目覚ましタイマーをかけていても、それで目を覚ますことがなくなった。
明るくなったら自然と目が覚めるようになったため。。。

年寄は朝が早い?

暗くなれば眠くなり、明るくなれば目が覚める。

そのまんまをそのまんまに。

春・夏・秋・冬

春の花は春に、夏の花は夏に、秋の花は秋に、そして冬の花は冬に。
夏鳥は春から夏に、冬鳥は秋から冬に、季節ごとに渡ってくる。

そのまんまをそのまんまに。

そして、南無阿弥陀仏もそのまんまをそのまんま。

 

何も抗うこともなく、そのまんまを生きたらよいということなのかな。

岩もあり 木の根もあれど さらさらと たださらさらと 水の流るる 

そうなんだろうけれど、それがなかなか。。。

 

今日、親鸞聖人の御誕生をお祝いするかのように、ヤマオダマキの花が一輪咲いた。

親鸞聖人像の台座の下に。

一昨年、オキナグサと一緒にオダマキも植えた。

でも、翌年・今年とオキナグサは元気に育ったけれど、オダマキは姿も形もない。
昨年はホタルブクロを植えた。こちらも姿も形もない。

日当たりが良すぎたのかなとか、肥料の問題?とか、いろいろと考えて、今回は日陰のこの場所に植えてみた。
それがようやく花開く。

 

先日、スミレの種を見つけ、写真に収めた。
すると、そこにはアリの姿も。

 
 
 
 
 
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植物は命を次につなげていくため、いろんな工夫を。

花鳥諷詠、日々の生活の中に花や鳥の姿をNHKの朝ドラ『らんまん』のモデルとなっている牧野富太郎さんのことば、

自然はわたしたちにとって得がたい教師です。
ただ、ぼんやりながめていてはなにも得るものはありませんが、
学ぼうという気持ちさえもっていたら、
自然はじつにいろいろなことをわたしたちに教えてくれます。

いろいろなことを学びながら、お念仏。

 

仏華

5月16日(火)

今、玄関前に次々と鉢植えの薔薇の花が咲き出した。

仏さまにお供えする仏華は、トゲのある花、毒のある花、香りの強い花などは昔からお供えしないと言われている。

これまでそれに何の疑問も持たなかったけれど、このたび薔薇の花を見ていると、何とも美しく、何とも香しいのに、何故このお花をお供え出来ないのだろうと。

 

仏さまに花をお供えすることを調べていると、燃灯仏授記のことが出てくる。

燃灯仏授記と言えば、先日団参で御本山にお参りしたあと、龍谷ミュージアムへも足を運んだ。
ここに復元されたトルファンのベゼクリク石窟寺院の回廊壁画にその場面が。

お釈迦さまの前世で、燃灯仏がお越しになられるのを聞き、前世のお釈迦さまは花を捧げようと少女から青蓮華を買い、散華したところ、その花は地上に落ちず、仏さまの頭上で止まった。
そのあと、仏さまがぬかるみを歩くことのないようにと、自らの長い髪を仏さまの足元に敷き、その髪、背中を踏んで仏さまはお渡りになり、「あなたは未来に仏となるでしょう」と預言され(授記)、その花を捧げようとした前世のお釈迦さまの姿こそ、仏華の始まりだといろいろなところで見かけた。

ただ、散華したのが始まりとあったり、このベゼクリクの壁画のように花を持っていたり。

 

何はともあれ、そこにはこんな花はダメという話ではない。
散華するのにトゲがあったらと思うけれど、散華で茎はさすがに。

お葬式でお棺の中にお花をお供えするのに、トゲがあったらと考えることもあるだろうけれど、その理由を尋ねてみると、忌み嫌うことが始まりのようにも。

そう思うと、基本的には私がこの花が一番と思う花を仏さまにお供えするのがいいのかなと。

 

今日は午後から広島別院で今年度(2023年)最初のサンガ部会。

G7サミット直前とあって、広島市内どれだけ警察車両・警察官とすれ違ったか。
本当にご苦労さまです。

そのG7サミットの前にLGBT法案と言うのがニュースで。

 

みんなちがって みんないい

 

エナガの呼び声

4月30日(日)

ゴールデンウィーク。

その初日、昨日は雨。
夜中の雨で親鸞聖人像側のハナミズキの白い花がかなり散ってしまった。。。

まさに

明日ありと思うこころの仇桜あざざくら
夜半よわに嵐の吹かぬものかは

 

御法事にお参りに来られた方が、「インスタ見てます」と、最近ずっとupしている「今日のエナガ」を。 

毎日のようにエナガの撮影。
と言っても、ただただじっとカメラを構えてボーッと待っている訳ではない。

まずカメラをセッティングしておいてから、メダカに餌を与え、水撒きをし、掃除をし、いろいろと他の作業をしていると、エナガは必ず声で知らせてくれる。

その呼び声をたよりに撮影。

先日より、巣の中から糞をくわえて飛び立つ姿を見かけるので、ヒナがいるのは分かっていたのだけれど、ようやくヒナの姿をはっきりと確認。

 
 
 
 
 
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鳥のひなのクチバシが大きくて黄色いのは、信号刺激とか鍵刺激と呼ばれるものらしい。
これは、“動物に一定の本能行動を引き起こす鍵となる刺激のこと”を言うらしく、親鳥が近づくと、ひなは大きく黄色い口を開ける。
その黄色い口を見ると、親が餌をやるための合図となり、やらずにはおれないと、せっせせっせとその大きく開いた黄色い口に餌を運んでいくのだそう。
その黄色がヒナの成長とともに薄れていき、刺激を受けなくなった親は次第に餌を与えなくなり、その後独り立ちしていくことになるのだとか。

親の呼び声に応えてヒナはピヨピヨと口を開けているとばかり思っていたけれど、開けたヒナのその口が親を呼び、その親の口から命のもととなる餌をそのままいただく。

 

甲斐和里子さんの詩、

み仏を よぶわが声は み仏の われをよびます み声なりけり
み仏の み名をとなふる わが声は わが声ながら たふとかりけり

何だかふとこの詩を思いながら、エナガの親子と阿弥陀さまと私。

違ってはいるけれど、それをご縁にただただお念仏。

 

 

冷たい畳対策

12月2日(金)

今日は冷え込んだ。

でも、朝から熱かった。

サッカーワールドカップ、カタール大会。
スペイン×日本戦。

日本時間28時(午前4時)キックオフ。

昨夜寝る前は、さすがに起きるの無理だろうと思っていたけど、自然と3時半頃に目が覚めて、暖かくしてテレビで観戦。

ドイツに続いて強豪スペインを破るとは。

もうしばらく楽しめそう。

 

今日は通り報恩講は休みだったが、午前中にお寺で法事が1件。

大きなストーブは8日の仏教壮年会の境内清掃で出していただこうと思っていたので、今日は小さなストーブを用意。

そして、

《やみつき暖かマット》なるものを。

以前から本堂の椅子に座った時の畳の冷たさが気になっていた。

先日のブラックフライデーとやらに、これは!と思うものを見つけ、注文。
ただ、こればかりは試してみないと分からないので、とりあえず4枚購入。

 

今日はお二人でお参りになられた法事で、本堂に向かうと案の定爪先立ちのようにして椅子にお座りに。

どうぞ、これを足元に敷いてくださいと。

すると、法事が終わるまでピタッとマットの上に足が。

これは良いかも。
と思いながらも、もう少し様子を見て。

 

無財むざい七施しちせ

眼施げんせ やさしいまなざしで他者に接すること。

和顔悦色施わげんえつじきせ おだやかな顔で他者に接すること。

言辞施ごんじせ やさしい言葉で他者に接すること。

身施しんせ からだを使って他者に奉仕すること。

心施しんせ 他者のためにこころを配ること。

床座施しょうざせ 他者に席や場所を譲ること。

坊舎施ぼうじゃせ 他者をあたたかくおもてなしすること。

 

マット自体は購入したものなので、厳密に言うと「無財」ではないけれど、何となく無財の七施のことをふと思い出す。

このたびのワールドカップ。
森保監督はじめ、選手の皆さんの姿にもこの無財の七施をふと。

 

がんばれ、日本!