梅雨入り直前

6月21日(金)

今年は庫裏前のアジサイがいつもより背が高く、たくさんの花を咲かせた。

でも、昨夜の雨で。。。

雨を吸った花の重みでかなり折れ曲がってしまった。

まさに「明日には紅顔ありて、夕べには白骨となれり」。

 

この雨で梅雨入りかと思ったけれど、近畿・東海・関東甲信は本日梅雨入りしたものの、中国地方はまだらしい。

今日は午後から、青空のもと善通寺にて呉東組仏教婦人会連盟主催の連続研修会「やわらか真宗」が開かれるため、参加される婦人会会員2名をお寺まで送迎。

ごくろうさまでした。

 

明日、明後日と天気予報では雨。特に明後日は大雨予報。

とりあえず夕方戸締まりして境内の排水口をチェック。

 

みなさまもどうぞお気をつけて。

2024年6月21日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組親鸞聖人讃仰会

6月15日(土)

午後2時から安登浄念寺にて、呉東組親鸞聖人讃仰会の総会並びに仏教文化講演会。

今秋、住職継職法要を控え、このたび本堂の廊下などをきれいに。

庫裏との渡り廊下に新しくスロープも。

 

最初に総会が30分ほど行われ、続いて仏教文化講演会。

御講師に本願寺派司教 武田一真師(龍仙寺住職)をお迎えして、

講題『ご信心のかなめ』

分かりやすい例え話を交えながら、やさしくご信心のかなめを。

終了後、お寺を後にしようと思ったら、庫裏の玄関先にナツツバキにホッと。

ようこそのお参りでした。

2024年6月15日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組仏教壮年会連盟役員会

6月13日(木)

午後5時より広ステーションホテルにて呉東組仏教壮年会連盟の役員会。

来月開かれる総会に向けて。
そして、そのあと懇親会。

と、その前にお通夜があるため、中座してお通夜が終わって再び合流。
前もそんなことが。。。と振り返ってみると、昨年もこの役員会の時にお通夜で中座。。。

おかげで最後まで久しぶりのウーロン茶。

 

今朝はいつものように境内の水撒き、清掃、そしてメダカの餌やり。

そんなことをしながら、ふと横を見ると、蓮の葉にシオカラトンボ。

 
 
 
 
 
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浄土真宗本願寺派 嶺宿山 専徳寺(@sentokunet)がシェアした投稿


先日、蓮の鉢から旅立ったシオカラトンボかな?、と思いながらそーっと撮影。

そして、今日はメダカの赤ちゃんのお引っ越し。

これまで蓮鉢のボウフラ対策にメダカ、コケ対策にミナミヌマエビなどを入れていたけれど、少し前からメダカのお腹に卵を見かけるようになったので、今年はちゃんと赤ちゃん(針子)用隔離ネットを設置してみた。

最近その中に赤ちゃんがどんどん増えていくので、これでは手狭だと赤ちゃん専用の水槽を購入。

そして、そこに赤ちゃんを引っ越ししたら、すでに50匹くらい??

まだまだ増えそうな勢いなので、もう一つ水槽を注文。

メダカの飼育がメインではなかったけれど、ここで生まれたメダカが元気に育ってくれるのを見ると、何だか愛着が沸いてくる。

勝手な者だなぁとは思いながらも、専徳寺生まれのメダカ、大きくなあれ。

 

 

 

 

 

2024年6月13日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組仏教婦人会連盟総会

6月12日(水)

先週からいろいろと行事が目白押し。

コロナ以前にちょっとずつ戻っている感じ。

今日は午後2時から大広真光寺にて、呉東組仏教婦人会連盟の総会。

 

各単位2名が出席し、まずは総会。

役員改選期に当たり、会長の交代あり、このたびお辞めになられる方、新しく就かれた方の紹介もあったりと。

いろいろとお世話になりました。

 

そして、そのあとの講演では、御講師に北広島町浄謙寺副住職の浄謙恵照師をお招きして、

「仏法を味わう 〜イタリアン精進料理 浄謙寺の活動〜」

浄謙寺web(https://jokenji.net/)

今日の参加者に結構浄謙寺でイタリアン精進料理をいただいたことがあると挙手されたのにびっくり。

「おときは信仰を確認し合う場」

ようこそのご参加でした。

 

明日は呉東組仏教壮年会役員会。

 

 

2024年6月12日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組法中会

6月1日(土)

今日から6月。

ようやく夏の布袍に衣替え。
ちょっと前からいつから完全衣替えにしようかと思っていたけれど、先日の雨から朝晩涼しいくらいに。

衣替えをすると、すべてが軽くなる。

 

今日の夕方、境内を見てまわると、見 たこともない花が。

とりあえず写真に撮って、Googleで調べる。

ハブランサス・アンダーソニー

南米原産のヒガンバナ科だそう。

葉っぱがないのに納得はしたけれど、なぜここに??

外来種なので、増えないうちに何とか。

 

今夜は法謙寺にて呉東組法中会。

最後「賦課金」についていろいろ。

 

2024年6月1日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

合掌チラシ

5月21日(火)

今日、5月21日は親鸞聖人の誕生日。御生誕851年。

呉東組地域の各ご家庭に、新聞の折り込みチラシ。

呉東組総代会・親鸞聖人讃仰会(協賛 呉東組仏教婦人会)の活動の一つ、合掌チラシで広報。

今年の法語は

生きては依り
 死しては帰るところあり
 いのち豊かな
 仏の世界

親鸞聖人の御誕生をお祝いし、出遇えたご縁に感謝。

 

昨日、K総代さんが専徳寺の立て看板を運んで来られた。

笹兵衛長浜店前に設置させていただいていた法座案内の立て看板を、店が閉店したため撤収してきたと。

仏教壮年会の新年互礼会、納涼会ではここのお弁当を。

いろいろ御世話になりました。

呉東組聞名講 5月例会

5月10日(金)

今日は午後から専徳寺にて呉東組聞名講。

当初教法寺で開催予定だったが、諸事情により会所が変更となり、専徳寺で行うことに。

そして、法話の当番も。

この聞名講で専徳寺で専徳寺住職が法話を担当することはまずない。
だからこそ、いつもと違う形でしようかなと思って準備を。
行き詰まってばっかりだったのが。。。

専徳寺の由来から、この聞名講を設立した大洲順道の話へ。

大洲順道は、明治9年に専徳寺へ入寺し、10年に住職に。
その翌年、聞名講を設立。

そして、明治19年から約10年鹿児島別院。
その間、明治22年に専徳寺本堂新築。

日本一の模範村、広村にも多大なる影響を。

このめまぐるしい活躍の源は何だったのか。

 

2年前に「仁村守三」のことを知りたいと問い合わせがあり、初めてキリスト教の歴史の中に「大洲順道」が存在することを知った。

仁村守三。1800以降~1880以降
本願寺派の僧侶。肥前に生まれる。本名は大州順三。1870年6月長崎において聖公会宣教師G・エンソーから受洗。
72年諜者として日本基督公会の創立に加わる。
73年3月横浜公会堂第一回総会で執事に選ばれる。
同年9月東京築地小田原町新栄橋際に設立された東京日本基督公会に会員として参加し、その後同公会の地方伝道に当たり、島亘と共に武州引股村に出張伝道する。
76年粟津高明が退会した頃長老であったが、やがて教会を離れ、広島県賀茂郡長浜の真宗本願寺派専徳寺の住職となり、香川実玄と名乗ったといわれる。(『キリスト教人名辞典』)

ただ、「仁村守三」のことを調べれば調べるほど矛盾する点が多いのに、「らしい」とか「いわれる」の記述ばかり。
そんなこともあり、「なかなか受け入れがたい」と返答したのに、相手はまったく違う受け取り方をしているのを、とあるサイトで見つけた。

《諜者》であったのは事実かも知れないけれども、どうも合点がいかないので、国会図書館デジタルコレクションでいろいろ調べていると、順道が専徳寺へ入寺する前、「豊田道二(道爾)」「観山順道」を名告っていた時期があると。

六 大洲師の閲歷
 師は藤川逸平翁の長子で天保十四年廣島縣豊田郡竹仁村に生れたのである。幼時より學を好みて十四歳の時に出家得度し、それより縣内所々に遊學し文久元年十九歳の時笈を負ふて豊前中津に至り勸學善護師の門に入り宗乗の學を修むること三年にして帰国し、ますます教典の研鑽を積み、内外の律令史なども涉獵したのである。ところが王政維新に際し、世論漸く廃佛毀釋に傾き、加ふるに外さへ侵入の兆候ありたれば憤慨して止まず、早速本山に上りて宿弊改新の議を建白し続いて長崎に下り、英學研究の傍ら内外の形勢を察して遂に國事に奔走するの念慮を起すに至ったのである。
 そこで明治四年四月には東上して時の太政大臣三條公其他の權門に出入して廢佛毀釋の謂れなきことを論明し、島地默雷大洲鉄然小栗憲一等の有志と提携して、教部省設置のために盡力したのである。そして九年四月に数部省出仕を拝命するに至ったのであるが、間も無く同省が廢止さるゝこととなったので、東京を辞して本山に帰り再び僧形に復したのである。
 師が髪短袖、自ら豊田道爾又は観山順道と呼んで居った時代はこの國事に奔走して居った時のことである。
 かくて明治十年九月本村專徳寺に入り翌十一年九月住職となったのである。
 専徳寺の所在地なる長濱は村の南端にありて戸数八百を算し漁民と農民と相半して之に商賣を交ゆるところであるが、居民多くは頑固曖昧にして渡す可からざるものゝ多かったところである。然るに師は明治十年入寺の當時より、政令を遵守すべきこと、時間を貴ぶべきこと、節約勤倹なるべきこと、斷髪のこと、新暦遵守のこと、就學のこと、悪疫豫防のこと、兵疫應徴のこと、租税完納のこと、林伐の禁制を守ること、賭博喧嘩の取締のこと、訴訟紛議の仲裁等、一々懇諭して、啻に心身の勞を惜しまなかったと云ふばかりでなく、之が矯正を計るためには再三私財を投じたことがあったのである。
 自坊再建のことは多年の宿望であった。それで率先して私嚢を投じて喜捨金を募ったところが、數萬金を得たので明治二十二年二月工事に取りかゝり、八ヶ月の工程を経て同年九月に至り、近郷には比類稀なる荘厳善美の大伽藍を建立するに至ったのである。
 之より先、明治十九年八月から、師は鹿兒島別院を兼職することになつたのであるが、二十九年二月に至るまでの十ヶ年間、一意専心に同地方の布教に盡力して、管下十餘萬の信徒を服せしめたので、別院の再建も成就するに至ったと云ふことである。而も其間に道路開鏧のことのこと、勞役勧誘のこと、實業奨勵のことなどに盡力し、要路の當局者に後援を送ったことが多大であったので、當代縣知事の厚遇を得たと云ふことである。
 師は其後本村に歸住してからも、相も渝らず数化善導のために盡力して居られたのであるが、明治三十五年に至り住職を退いて寺務一切を新住職に一任されたのである。併し教化善導のために盡力することは毫も渝らないのである。ところが新住職が昨年急病にかゝり死去されたそうで、之れには師も餘程當惑して居られると云ふことであった。
 大洲師の歴を調査したことは、端なくも本村の人物について調査して見たいと云ふ考を誘起されたから、藤田村長に其由を語りたれば多少調査したものがあると云って、調査資料を示されたから、之により最近の篤志家、又は善行者を調べて見たら次のやうな人々がある。(『学校中心 自治民育要義』 村田宇一郎著 明治43年)

 諜者との記述はないが、そこから光明の糸口が。

 

 順道は、明治元年に本願寺に入り、原口針水に師事。
 当時、キリスト教を長崎で学び、詳しかった原口針水が本山にて破邪顕正御用掛に任用された。
 そして明治2年、太政官の弾正台が設立。

 こうした経緯で、順道もキリスト教の実情を探るため、所謂「諜者」として潜入したのではないだろうか。

 《豊田道二》は、大隈文書によると、東京での上級諜者の名前として登場。
 《観山順道》は、教務省の名簿に。

その活動記録が、早稲田大学の大隈文書に残っている。

それらを見ると、その頃の「諜者」はキリスト教解禁前の様々な情報を上(太政官)に報告していたよう。

ただ、キリスト教の実情を目の当たりにして、これは太刀打ちできないと思ったのだろうなぁと。

 

キリスト教禁止が解け、廃仏毀釈も徐々に沈静化していくなか、本願寺へと戻った順道は専徳寺に入寺。

そこからのめまぐるしい活躍は、広村に掲げられた「教育第一」。これが一番だったのかなと。

順道と一緒に諜者として知られる安藤劉太郎(関信三)。
大谷派の僧侶で、日本で最初に幼稚園を設立した人。

大隈重信が早稲田大学を創設し、安藤劉太郎が幼稚園を日本で初めて設立し、大洲順道は真徳教社(崇徳教社)、広島学寮などの設立にも名前が出てくるのを見ると、キリスト教から学んだのは、いずれもいずれも「教育第一」だったのかなと。

大洲順道は豊田道爾(道二)。

これは間違いないことだと思う。

ただ、その経験を活かして、隠遁して隠れることもなく、動いている姿に改めて。

 

そのあと、御示談。

今日の問いは、

私は、必ず終わる命を生きていると知りながらも目を背けています。あなたの後生の一大事の解決を教えてください。

導師に法話に御示談と一人でするのはちょっと大変かなと。

それでもこのご縁を通して学んだことが。

ようこそのお参りでした。

 

2024年5月10日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組法中会

5月6日(月)

ゴールデンウィーク、最終日。

ゴールデンウィーク中は、お寺での法事よりご自宅での法事が多かった。
久しぶりに親族が集まるご縁も多かったよう。

この連休中に、シジュウカラの巣がどうやらスズメに。。。
獅子のお尻は間口が広いから、スズメに襲われなければいいなと思っていたけれど。。。
そう思って、境内にシジュウカラ用の巣箱をかけていたけれど、場所が悪いのかな。
また違うところに巣箱をかけ直そう。

 

今日、荷物が届いた。

先月盗られた蓮。
盗られた鉢はその後もガランとしたままで、何も出て来ないその姿を見る度にため息。。。
気持ちを切り替え、何かここで。

青い睡蓮、黄色い睡蓮、赤い睡蓮、白い睡蓮。
青い蓮はないけれど、睡蓮だと青いのがあるみたいなので、どんなものかなと。

そして、同じお店にあったカキツバタも。

とにかく前に。

 

今夜は雨の降るなか、呉東組法中会が浄光寺にて。

令和6年度最初の法中会。
このたびより副組長として司会進行のお役目を。

年度初めとあって、いろいろと。

とにかく前に。

2024年5月6日 | カテゴリー : 呉東組, | 投稿者 : sentoku

呉東組カープ観戦

5月2日(木)

5月は雨でスタート。

昨日、5月1日はすずらんの日。

境内の鈴蘭。これまでで一番花が大きい感じ。

 

午後には雨が上がるのかと思っていたけれど、夕方までずっとパラパラと。

昨夜は呉東組カープ観戦。

マツダスタジアムで、広島×阪神戦。

納涼会が、いつの頃からかカープ観戦と代わり、今年はこれまでで一番早い時期に。

住職だけでなく、小さなお子さま連れで参加される方も。

試合1時間前には雨も上がったけれど、気温が上がらない。。。

風の通りが頗る良く、とにかく寒い。。。

試合も2点先制され、何とか終盤に追いつき延長戦へ。

9時をまわり、さすがに寒かったので、9回終わったところで失礼。

帰宅した頃に延長12回を同点のままゲームセット。

とりあえず、負けなくてよかった。

 

ゆっくり野球を応援しようと思ったら、テレビで観るのが一番かも。
でも、球場観戦だからこそというものがそこに。

イニング間の球場整備もそう。
綺麗に整備されたグランドは美しいし、整備されているからこそいいプレーを観ることが出来る。

そんなことを思いながら、今朝は晴れた境内を清掃。

 

2024年5月2日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組法中会

3月31日(日)

汗ばむほどの陽気の中、法事を次々と。
さすがに暑いので、少し薄手の五条袈裟を引っ張り出して。

昨日よりも一段と薄墨桜のつぼみが膨らんだような。

原種チューリップも満開に。

 

今夜は令和5年度最後の法中会。

寺西組長(川尻真光寺)が今日で退任され、明日から先日の組会で決まった平原組長(宝徳寺)のもと新体制に。

このたび副組長とならせていただいたので、微力ながら組のお役に。

組の花が開きますように。

2024年3月31日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku