5月11日(月)
今日は午後から呉東組聞名講が、当山専徳寺にて。
正信偈のおつとめの後、昨年度で辞められた前講長に本願寺からの感謝状、新講長と新役員には委任状が手渡される。
そして、御消息を拝読し、称名寺様の法話。
御示談では、前回より役員のみなさんが御示談を進行しやすいようにと、アンケートを始まる前に採ってくださったのと、質問用紙に書かれた一つの質問から。
質問は、「不可称不可説不可思議について説明お願いします」
アンケートは、『浄土真宗 必携』をもとに、
「名号」「信心」「念仏」の浄土真宗の教えで何が大事ですか?
1、お名号によってすくわれる。
2、信心一つでお浄土に生まれる。
3、ただ念仏のみぞまこと。
4、すべて本質は同じく本願力。
まず、不可称不可説不可思議。
『高僧和讃』には、
五濁悪世の衆生の 選択本願信ずれば
不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身にみてり
『正像末和讃』には、
五濁悪世の有情の 選択本願信ずれば
不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身にみてり
と、「衆生」と「有情」を置き換えただけのご和讃がある。
たたえることも、説明することも、思うこともできないほどの大きな大きな阿弥陀さまの功徳を表しているので、これも語り尽くすことが出来ないし、納得いく説明は・・・。
でも、それほどの大きな願いをいただいてるのだと思うばかり。
アンケートは、回答19名で、1が9名、2が13名、3が8名、4が11名だったそう。
まんべんなく、複数回答される方が多かったよう。
答えはどれか一つではなく、名号も信心も念仏も本願力も、もとはひとつの「南無阿弥陀仏」とのお話。
いつもなら、この後質問は出て来ないのだが、今日はそのあと2つも。
本山のお晨朝で、『御文章』の「易往而無人章」が拝読されたけど、「易往而無人」とはどのような意味でしょう?との質問と、毎朝1時間写経をしているのだけれど、次は何のお経をすれば良いでしょうとの質問。
いろいろとそれぞれにご法義をよろこばれているようで。
ようこそのお参りでした。