5月3日(土)
善通寺住職継職奉告法要が行われるため、午前11時半に善通寺へ。
今日は呉東組16ヶ寺全ヶ寺から、住職・若院が出勤して賑々しく。
その法要に先だって、午後1時より稚児行列。
仏旗を持った総代の方を先頭に、雅楽会、色衣・五条袈裟を着けた列衆(れっしゅう/お内陣の余間でおつとめをする僧侶)、前住職、色衣・七条袈裟を着けた結衆(けっしゅう/お内陣で法要をつとめる僧侶)と新住職。
そして、その後をかわいらしい稚児衣装を着けたお稚児さんが100名ほど。
スタート地点の三坂地小学校を出発し、善通寺まで行列が続く。
参道からは「おめでとうございます」の声。
青空がひろがり、少し汗ばむが、心地よいそよ風が時折。
そして、午後2時30分より善通寺本堂にて法要が執り行われる。
このたびは、初めて散華頭を勤めさせていただいた。
広真光寺様と一緒に、
奉請弥陀如来 入道場 散華楽
奉請釈迦如来 入道場 散華楽
奉請十方如来 入道場 散華楽
と。
雅楽の笙の音に乗って唱えたのだが、最初の「ぶーじょーう」の「ぶ」の音が、ドレミファソラシドの「ラ」の音で始まる。
普段のおつとめでは、なかなかこの高い「ラ」の音が出ないので、いつもは自分に合った低めのスタート。
それを今日は笙の音に合わせて。
その後、新住職と結衆は、華籠を持ち、御本尊のまわりを歩きながら正信偈のおつとめ。
ご門主さまの書かれた『いまを生かされて』という本のなかに、
笑われるかもしれませんが、御影堂の内陣に座ってお勤めをしているとき、私はいつも緊張しています。本願寺の住職になって三十年以上になり、朝のお勤めは何千回と繰り返しているのですが、いまだに慣れるということがありません。
和讃の繰り読みはおよそ二ヶ月で一巡しますので、一年で少なくとも五、六回は同じ和讃を読んでいますが、それでも毎回緊張しています。私の声からすべてが始まるのですから、間違えることは許されません。和讃のおことばを目で追いながら、「なるほどそうか」と余裕を持って頷くことなどできないのです。
そうして緊張に身を固くしているときでも、私の声に続いて堂内の皆さんが声を重ね、御影堂に満ちる大きな一つの声として聞こえてくる和讃は、私に深く確かな感慨をもたらしてくれます。
のことばを思い出しながら。
みんなのなかで、みんなに支えられ、そこに私が。
継職法要はそんなことに気づかしていただける大切なご縁かな。
たくさんの方にお世話になりました。