7月18日(木)
石泉文庫虫干し法座、3日目。
今日も朝席が終わると、昨日の残りの半分を虫干し。
朝のご讃題
「現世のすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし。〔中略〕衣食住の三は念仏の助業也。これすなはち自身安穏にして念仏往生をとげんがためには、何事もみな念仏の助業也。」 (法然聖人『和語灯録』)
この念仏と助業の関係を、僧叡和上は安心の上では念仏ひとつ、助業は行儀(念仏者の生きざま)の上で語られると説いたところ、それが大瀛門下と助正論争に発展した。
法然聖人の念仏も親鸞聖人の念仏も一緒。
そして、仏教の中の浄土真宗。
これが僧叡和上の大きなスタンス。
如来よりいただいた「お念仏」。
大切なものだからと、お仏壇にそっとしまっておいたら何のことやら。
大切なものだからこそ、いつも心に、そして口に。
身のまわりのすべてがお念仏のご縁。
虫干しの様子を見せて欲しいと、午後からチョコチョコ尋ねてこられた。
俳句をしている方、歴史の好きな方。
これも、お念仏のご縁となれば。
3時から再び虫干しした本の片付け。
2日間、良いお天気で無事干せた。
夜席では、僧叡和上の信心のお話を聞かせていただく。
久しぶりに僧叡和上の話を聞かせていただき、まだまだ勉強させていただかなければ!と。
今日の午後、昨日干し終わった僧叡和上関係の本をパラパラと見ていると、いくつか合わさった本の中に、『読錍領辞』なるものを見つけた。
その結びには、
「光明叡尊者
侍者下」
と。
「光明叡尊者」とは、光明寺僧叡?
大瀛和上が三業惑乱の際に著された『横超直道金剛錍』。
ここに僧叡和上が序文を書かれているのは知っていたが、これはその草稿本を読んで僧叡和上が添削をしたものか?
そんな本が出てきた。
まだ、パラパラとしか見れていないが、
仏の三心 尊意今少し御考ありたく候。
なんて一節が出て来る。
尊者
「光明寺僧叡」と名告ったのは、寛政12年のみ。
40歳にして、誰から見ても「尊者」だったんだろうなぁ・・・と。
これが僧叡和上のことであればの話。
明日の朝席で御満座。
それが終わると、文庫へみんなでお返しする。
また、汗をかきかき、お念仏。
お誘いあわせてお参りを。