7月16日(土)
今日の朝席で石泉文庫虫干し法座も御満座。
朝席では、
なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふらんことこそ、あはれに候へ。ただし、生死無常のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。まづ善信が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定のひとは、疑なければ正定聚に住することにて候ふなり。さればこそ愚痴無智の人も、をはりめでたく候へ。(親鸞聖人御消息18)
誰もが迎える命の終わり。
今年は地震に大雨、各地で災害が続いていることと合わせ、いろんなことを思いながら聞かせていただく。
朝席が終わり、みんなで石泉文庫へ本をお返しに。
細い道を男性が木の箱をかつぎ、
土曜日でお休みの子どもたちが本を運ぶ姿も。
1999年8月9日、呉市のお寺、専徳寺の本堂。
港を見下ろす高台にあるこのお寺で、ぼくは、「親と子」の話をした。お早うございます。
ようこそ、おいでくださいました。
専徳寺さんは呉の海が見わたせる山の中腹ですから、坂道を登ってきてくださったんですね。
若者ならともかく、お歳をめして、町から登ってくるのは大変ですよね。
きょうは大変な方ばっかり(笑)。
ご本堂を吹き抜ける気持ちのいい風は、汗ばんだ肌には極楽です。
ようこそ極楽へ(笑)。
さァ、ぼくの背中には阿弥陀如来がいらっしゃいます。
そして、ぼくは寺の子ですから、御仏の子としてお話しします。
これは、先日お亡くなりになった永六輔さんの『親と子』(岩波新書)第5章の冒頭。
今年も「極楽」の風が吹き抜ける本堂で、お聴聞のあと、汗をかきかき。
毎年大変な作業だけど、皆さん笑顔で運んでくださる。
「今年も運ばせていただいた」と。
ご協力、ありがとうございました。
また、ようこそのお参りでした。