1月5日(金)
今朝の朝日新聞朝刊、「折々のことば」に、
ミジンコにはミジンコの都合がある
なかなか味わい深いことば。
今日は郷原浄光寺御住職の御葬儀。
令和6年1月3日、ご往生。
ちょうどその1ヶ月前の12月3日、浄光寺御住職よりお電話をいただいている。
10月に開催された法中会よりお姿を見なくなり、次の11月の法中会で組長よりおからだが悪い旨報告が。
そして、12月の法中会。
その時に事務担当の私が配布した〈12月、1月の行事予定表〉に、1月の聞名講のことを記していた。
予定では御講師の担当に当たっていたのが浄光寺様。
それで、法中会にて誰か代わりを立てることに決まった。
その翌日、法中会の資料をご覧になって、わざわざ連絡を。
「昨日の法中会で代わりを立てることが決まったので、聞名講担当の私が代わりをつとめさせていただきます」とお伝えしたら、大変安堵されたようで、
「どうぞお大事に」
「ありがとう」
「それでは失礼します」
が最期に交わした言葉となった。
最期の言葉が「ありがとう」だったことが心に残る。
こちらの勝手な思いではあるが、何時でも「ありがとう」が最期の言葉だったらいいなと。
いろいろと御世話になりました。
以前総代様より、郷原の浄光寺に宇都宮黙霖撰文の石碑が建っていると聞いたことがあった。
中光浄誓翁碑
その一番最後に記されているのが
勧学 利井鮮妙師
撰文 芸陽雪渓学人 宇都宮真名介
これまでなかなか来ることも見ることも出来なかったので、帰りに写真だけ。
これも有難いご縁。