11月30日(木)
今日で11月もおしまい。
今日の通り報恩講のお参り先で、古い写真を見せてくださった。
白い割烹着に「大日本国防婦人会」のタスキ。
昭和15年、婦人会の戦死者追悼法会。
そして、
昭和30年の念仏奉仕団。
当時は新幹線もなかった頃。
どのくらい京都まで時間がかかったのだろうと、Google Bird(対話型AI)で尋ねてみた。
昭和30年に呉市の広駅から京都駅までの移動方法は、主に鉄道とバスでした。
鉄道の場合
広駅から京都駅までは、山陽本線の特急「しらね」を利用するのが最速でした。広駅から岡山駅までは特急「しらね」で約2時間30分、岡山駅から京都駅までは特急「はまかぜ」で約4時間30分、合計で約7時間でした。
また、広駅から京都駅までは、山陽本線の普通列車を利用することもできました。広駅から岡山駅までは普通列車で約3時間30分、岡山駅から京都駅までは普通列車で約5時間30分、合計で約9時間でした。
バスの場合
広駅から京都駅までは、夜行バスを利用することもできました。広駅から京都駅までの夜行バスは、約10時間で到着しました。