石泉文庫虫干し法座 2日目

9月28日(木)

石泉文庫虫干し法座、朝席。

先日、朝日新聞の折々のことばに目がとまったことから。

「点字聖書」を舌と唇で読んでいたという話。

「点字聖書」があるのなら「点字聖典」はあるのだろうかと調べてみたら、ちゃんと浄土真宗本願寺派では社会部が点字書籍を作成。

本願寺派社会部》障がい者福祉活動》点字書籍

他にもないかと思って調べたら、浄土宗が【点字のお経本】というサイトを。

そこに本願寺派の聖典が紹介され、「価格:無償」と。

 

それはともかく、「聖書」とどのように出会ったのか知りたかったので、本を取り寄せ。

 一週間に一日休むことになっただけで、学校が急に遠くなったような気がして、私は淋しかった。 そんな私に、母はお寺の日曜学校へ通うように勧めた。門徒宗のそのお寺は、町の中とはいえ、ちょっとした森にかこまれていて、比較的静かな場所にあった。潜り戸を入ると、土塀に囲まれた境内は、いっそう静かで、子供心に身の引き締まるのを覚えた。本堂には同じ年ごろの子供達が五、六名、お坊さんの説教を聞き、お経を習うのであった。このお経は「帰命無量如来」で始まる 正信偈であって、かつて、祖父が毎朝奥の仏間で唱えていたものであることはすぐにわかった。
 やがて母はそのお経を、先祖様に捧げるようにと私に命じた。私はいかにも神妙に仏壇の扉を開き灯明と線香をあげ、座布団に正座し、合掌して念仏を唱えた。全くの見様見真似であった。経本を開き唱え始めると、傍らに萎えた手を合わせて、母も一緒に口ずさんだ。その三十分間はまたたく間に過ぎてしまう。やがて、
  願以此功徳 平等施一切
  同発菩提心 往生安楽国
と、最後の部分をゆっくり唱え終わると、母は身を震わせて喜んだ。同じ病を持つ母と私の二人旅は、この頃から始まったと言える。

11歳で発病し、学校を休みがちになった少年が最初に出会ったのは正信偈。

そのあと、四国の霊場をまわり、お母さんが亡くなったあと、長島愛生園へ。

愛生園では治らい薬プロミンの副作用で6年間も高熱が続き、両手の麻痺状態が進み骨膜炎を併発して手の指を損ない、視力も衰え失明。そんななか、病室に友が一人尋ねてきて、本の朗読をしてくれるようになる。
そこで、『新約聖書』を読んでくれたのがご縁だそう。

その後、点字を学んだけれど、指で読むことが出来ないので、唇と舌で。

  点字

ここに僕らの言葉が秘められている
ここに僕らの世界が待っている
舌先と唇に残ったわずかな知覚
それは僕の唯一の眼だ
その眼に映しだされた陰影の何と冷たいことか

読めるだろうか
星がひとつ、それはア
星が縦にふたつ、それはイ
横に並んでそれはウ
紙面に浮かびでた星と星の微妙な組み合わせ

読めるだろうか
読まねばならない
点字書を開き唇にそっとふれる姿をいつ
予想したであろうか……

ためらいとむさぼる心が渦をまき
体の中で激しい音を立てもだえる
点と点が結びついて線となり
線と線は面となり文字を浮かびだす

唇に血がにじみでる
舌先がしびれうずいてくる
試練とはこれか――
かなしみとはこれか――
だがためらいと感傷とは今こそ許されはしない
この文字、この言葉
この中に、はてしない可能性が大きく手を広げ
新しい僕らの明日を約束しているのだ
涙は
そこでこそぬぐわれるであろう

 (「はなかみ通信」其の十一通〔二〇〇四年九月]-其の二十八通[二〇一〇年一月])

唇と舌で点字を読み続けると、コンクリートの壁をなでるような痛みで、唇が裂け、本が血で染まるのだそう。

それでも、この文字、この言葉に果てしない可能性が大きく手を広げていると。

 
 
 
 
 
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こうして毎年行っている虫干しも、経文そのものを読むことは出来なくても、先人方の御苦労、御恩を肌で感じることが出来、そしてそれを次へと伝えてゆけたら。

世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ

ようこそのお参りでした。