1月10日(火)
今日は午前中、呉東組聞名講の臨時役員会へ。
例年1月例会の後、3月の委員会に向けて役員会を開いているのだけれど、今日はその役員会に向けての準備。
コロナ禍までは役員さんのみで行っていたけれど、法中にも参加を求められ、お声をかけていただいたのでこのたびも参加。
そして、昼から小坪説教所の御正忌報恩講へ。
令和2年の御正忌報恩講を最後に、コロナで法座がストップ。
何度か再開を探っていたけれど、次こそはと、予定するたびにまん防だ、非常事態宣言だと、直前で悉く中止に。
それが、昨年末の12月に報恩講で久しぶりの御法座再開。
そして、このたび3年ぶりの御正忌報恩講。
昼席は、親と子の話より。
まるらおこ詩集『つかのまの童話』にある「風」という詩。
風
現世の極楽浄土として造られた
宇治の平等院鳳凰堂「死んだら浄土で
またあおうね」見学待ちの行列に並んでいる時
母が背中ごしに声をかけてきた
明るいこえだ「嫌」
ふりかえりもせずに
そう答えた風が吹いて
ふりかえると
こぼれた涙をふいている母「へんな子」
冗談で言ったのに
泣かれたら ほんまになるやん「浄土で待ってるからね」
と また念を押すように言うから
「待たなくていい」
と 念を押してしまったやん
どこまでも背を向けてしまう子に、親はいつまでも願いを。
にぐるものをすくいとるのご縁より。
夜席は、何故お寺へお参りするのか。
土徳の話より。
今遇えたご縁は、いろんなご縁が整って。
今朝お会いした聞名講講長さんは、現在本願寺派の講社連絡会の会長でもあるが、昨年より安芸教区講社協議会の会長にも就かれたそう。お寺の総代長もされているのに、さぞや大変だろうと頭が下がるばかりだけれど、それでも御法義話になるととっても嬉しそう。
それも親からいただいたご縁が。
そういうご縁を大切に。
ようこそのお参りでした。