2月27日(日)
今夜は今年初めての呉東組法中会が光明寺にて。
1月はまん防(まん延防止等重点措置)を受けて組長会が中止になり、法中会も中止。
久しぶりに呉東組法中と顔合わせ。
法中会で、『本願寺派寺院と戦争』調査報告書をいただいて帰った。
その中をパラパラと見ていて、ふと目に止まったのが、
何と、当山専徳寺の本堂にそっくり!!
昔、同じようなお寺が他所にもあると言うような話を何となく。。。
残念ながら、昭和20年7月30日の空襲でこの本堂は焼失したそう。
畚屋根
と呼ぶのだそうだが、その名前の由来は調べてみたけど不明。
寺院ホームページがあったので、そちらを拝見すると、
明治26年(1893)11月に本堂落成法要
とある。
当山の記録では明治22年に専徳寺本堂は建立されているので、そのあとの建立となるのかな。
大洲順道がいつ頃からいつ頃まで鹿児島別院におられたのか、それは定かではないけれど、
専徳寺に伝わる鹿児島別院の本堂が描かれた薩摩焼の壺。
その裏には、
「感謝
明治29年2月11日
鹿児島教区各寺住職各布教員」
その頃まで鹿児島へご縁があったとしたら、何かしらご縁があったのかなぁと。
不思議なご縁。