広南小学校読み聞かせ(187)

7月12日(月)

今日は広南小学校読み聞かせ。

長男の高校が代休のため休み。

【子】明日、代休だから。
【親】明日、読み聞かせがあるけれど、行く?
【子】起きれたら行っても良いけど。。。
【親】じゃ、お願い。子どもたち喜ぶと思うよ。

と、前日の夕飯時の会話。

と言うことで、担当は坊守に代わって長男が2年生、そして私は4年生。

 

読んだ絵本は、

『ええたまいっちょう!』 (くすのきしげのり 作 吉田尚令 絵)

母子家庭の男の子。
友だちにからかわれ、泣かしてしまったことで、先生から自分だけ叱られた。

その学校帰りに、落ちていた泥だらけのボールを拾って、父のことを思い出し、交番へ持って行く。

交番では若いおまわりさんがやさしく対応してくれ、一緒にキャッチボールを。

そのおまわりさんとの出会いで、男の子には将来なりたい夢が。。。

 

久しぶりのくすのきしげのりさんの作品。
長男は同じ吉田尚令さんとのコンビ、『ぼくのジィちゃん』を。

読み終わった後、次々と感想を述べてくれた。

4年生は二分の一成人式を迎える。
いろんな人に出会ったり、いろんなことに出会う中で、自分の夢を見つけて欲しいな。

 

2021年7月12日 | カテゴリー : 絵本 | 投稿者 : sentoku

雨上がり

7月11日(日)

雨が上がり、久しぶりに陽の光。

大名蓮のつぼみがどの葉っぱよりも抽んでて、1メートルほどの高さに。

隣の小さな安頭春にも小さなつぼみが。

去年見れなかった大きな白蓮華《大名蓮》。
そして、小さな赤蓮華《案頭春》。

どちらもきれいに咲くことを願って。

 

それから、桔梗の側の女郎花おみなえしも咲き始め。

『万葉集』に山上憶良やまのうえのおくらが詠んだ秋の七草。

あききたるはなゆびりかきかぞふれば七種ななくさはな
はぎはな 尾花おばな くずはな 瞿麦なでしこはな 女郎花おみなえし また 藤袴ふじばかま 朝貌あさがおはな

奈良時代、秋の野に咲く花を数えると、ハギ、ススキ(=尾花)、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、キキョウ(=アサガオ)の七種であったと。

遙か遠い昔も、こうして同じ花を眺める人が。

 

東広島呉自動車道の阿賀インターチェンジ(先小倉)で、一夜にして重さ約660トン、長さ約80mの橋桁を、多軸式特殊台車なるものを用いて運搬架設。
その下を法事の帰りに通る。

頭の上に660トン。
そう思うと、いささか緊張。。。

ここを通る度に、どうやって架けるのか気になっていたけれど、まさかこんな大きな大きなものを台車で運ぶとは。
何はともあれ、これで渋滞緩和になってくれたら。
でも、開通までもうしばらく。

 

2021年7月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : sentoku

地震・大雨

7月8日(木)

豪雨災害から3年。

この時季を迎えると、毎日天気予報を気にしながら。。。

 

夜中、地震で目を覚ます。
  (午前1時24分頃、震源地:伊予灘、呉震度2)
次の地震はぐっすり寝入って気づかず。
  (午前2時39分頃、震源地:安芸灘、呉震度1)

1度目は結構揺れたように思ったけれど、夜中の突然の出来事に、なかなかからだが動かない。。。

 

朝起きると、呉市に洪水警報。
そしてその後、大雨警報。

JR呉線は終日運休、学校も休校。

お日さん、雨さん

ほこりのついた
芝草を
雨さん洗って
くれました。

洗ってぬれた
芝草を
お日さんほして
くれました。

こうして私が
ねころんで
空をみるのに
よいように。

         「金子みすゞ童謡全集」JULA出版局

雨が降るのは悪いことばかりではないのだけれど、ここ数年毎年日本のどこかで発生する線状降水帯。
それに伴う土砂災害。

くれぐれも、お気をつけて。

 

2021年7月8日 | カテゴリー : 災害 | 投稿者 : sentoku

願い

7月7日(水)

今日は七夕。

願いごとを記した短冊をあちらこちらで。

これは乞巧奠きこうでんと言う中国の風習に由来するそう。
技巧を乞う。
織り姫様にあやかって裁縫の上達などを願う儀式だったとか。

「願いが届く」
「願いが叶う」

願いが成就した時は、何とも言えない喜びがある。

 

今朝、2つの願いに望みが。

1つは、蓮の蕾が1つ。

昨年の蓮を、今年は蓮根から育て、毎日毎日声をかけながらじっとこの時を待っていた。
でも、他所の蓮が開花したと言うニュース等を見ると、ダメだったのかなぁ。。。と心配に。

それが、昨日はなかったはずなのに、朝蕾が1つ。

これは嬉しい。

 

そして、もう1つ。
ヒマラヤスギにキジバトが戻ってきて、また抱卵を。

先日から姿を見かけるようになったので、ひょっとしたらと期待していたら、今朝前回の巣に。

でも、喜ぶのも束の間。。。
昼から庭木の剪定で職人さんが機械を使っていたから、ちょっと心配。
夕方、巣を覗くとキジバトの姿が見えず、白い卵だけが。。。

求不得苦。

 

願いが叶うのには時間もかかる。
早く早くと焦らずに。

五劫思惟之摂受

阿弥陀さまは五劫と言う長い時間を。

早く早くと焦らずに。

呉東組法中会

7月4日(日)

山門前の石段にふと目が止まる。

小さな小さな赤い花が一輪。

どこからやって来たのか、花自体はベコニアのようにも見えるのだけど、こんな葉っぱでなかったし。。。

こんなところに咲く花にふと心動かされるけれど、

枯木に花咲くより
 生木に花咲くに驚け

江戸時代の哲学者、三浦梅園のことばに。。。

何ごとも当たり前でなく、有り難し。

 

今夜は久しぶりの法中会が法謙寺にて。

先月は緊急事態宣言で中止となり、その後の組内行事も中止となったため、組内法中の皆さんと顔を合わすのも久しぶり。

 

当たり前のように会えていた頃が有り難し。

次回は当山にて。

2021年7月4日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

広南中学校参観日

7月3日(土)

今日は広南中学校の参観日と広南寄席。

ただ、広南寄席は例年寄席前の授業参観だけで、寄席自体はいつも法事で観たことがない。。。

 

次男たち1年生は、中学に入ると最初にビブリオトークに取り組む。
生徒一人一人が違う本を読み、その本の紹介をしながら、何を学び、これからの自分にどう活かすかを、フリップを各自作って発表。

本はいろんな分野で活躍された方の自叙伝。

人の生き方にいろんなことを学んだみたい。

 

アクリル板越しに、マスクを外して発表する子どもたち。
1年以上ぶり?に素顔を見ると、みんな大人っぽく、しっかりした良い顔になってきたなぁと。

また、寺で用意しながらも使うことがなかったアクリル板。
久しぶりに見て、ここでちゃんと役に立っていることも嬉しいかぎり。

 

この後はジャンボ衣笠さん等の寄席を見て、落語の面白さに触れ、みんな秋に向けて落語を教わることに。

 

帰宅して、本堂での法事。

本堂に入るなり、「このまえは、読み聞かせに来てくださってありがとうございました」と可愛らしいお礼を言われた。
先月担当した2年生の男の子。

終わった後も、一人挨拶に来て、いろいろ喋ってくれ、「また来ます」と帰っていった。

「また来てね」

 

コロナ禍でも広南、みんなすくすくと。

 

 

 

 

 

 

2021年7月3日 | カテゴリー : 長浜 | 投稿者 : sentoku

学問とは

7月1日(木)

今日から7月。
そして、今日は呉空襲の日。
いろいろと思いを馳せながら。。。

国立国会図書館デジタルコレクションの『現代名流自伝』第1編に、前田慧雲勧学が「子の受けたる境遇と感化」と題して書かれた中に、石泉僧叡和上のことを挙げられていたので紹介。

 

石泉僧叡せきせんそうえい事蹟じせきに感ず

それから二三年の後、父から仏学のはなしを聞くについて、時々真宗の先哲せんてつはなしをしてれた事があります。其のうちついて最も感じたのが、芸州げいしゅう石泉僧叡せきせんそうえいといふ人のことで、父がそれをはなすについて、学問とふものは、この人のような学問でないと真実な学問でない。この石泉師せきせんしのは自身の心の底からして出た学問で、真の学問である。書物に書いてあるのを読んで覚えたり、口の上から聞き込んだけのものでは、学問とはへない。今日こんにちの学者はみな書物の上の事を受売うけうりしたり、師匠のふた事をり返すに過ぎないので、真実の学者でない。真実の学者は、自分で一けんしきを立てて、自分の心から出したものでなけらねばならぬ。ところこの僧叡そうえいふ人は、自分の説が当時の学者にれられず、本願寺からして糺問きゅうもんを受けたけれどもそれにもくっせず、安芸国あきのくにの一田舎の長浜といふところ隠居いんきょして、みずから学生をやしなうて、一生の間本山へはもちゐられずしておわった。その僧叡そうえいの目から見ると、本山にもちゐられてゐる学者共がくしゃどもは子供同様であって、初めから相手にしなかったくらいであると話されて、おおいに感動しました。成程なるほど、学問は書物に書いてある通りを其儘そのままふてゐるようではつまらぬ。どうしても一個の説を立てねばならぬといふかんがえおこりました。其後そののちふものは書物を見るたびに、無理矢理にでも自説をこしらへて見やうとつとめて、論語を読んだ時には『論語考』といふものを書いて、その草稿そうこう何処どこやらに有りましたが、今見るといふと可笑おかしい事ばかりではあるが、ふ事が多少の見識をつけました。

 

学問とは、そのまま受け売りするのでなく、自身の心の底から出てくるもの。

いつの時代も、先人の言葉に学ぶべきことが。

 

ちなみに、前田慧雲勧学は、専徳寺に建つ大洲順道の頌徳碑を書いてくださっている。

 

アインシュタイン記念日

6月30日(水)

現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは仏教です。

そう語ったのは、アインシュタイン。

今日6月30日は、1905年(明治38年)、アルベルト・アインシュタインが相対性理論に関する最初の論文「運動する物体の電気力学について」をドイツの物理雑誌『アナーレン・デル・フィジーク』に提出したことから「アインシュタイン記念日」と言うらしい。

 

アインシュタインと言えば、先日次男がこの本を読みたいと言うので取り寄せた。

トーベン・クールマンの新作、『アインシュタイン ―時をかけるネズミの大冒険-』。

リンドバーグ、アームストロング、エジソンに続く第4弾の絵本。

長男が6年生の時、6年生に読み聞かせで第1作目の『リンドバーグ』を読んだ。
その時1年生だった次男にも、家で練習を兼ねて読んだ。

このシリーズを読み聞かせで読んだのはその一度きり。
読み聞かせで読むにはあまりにも長かったので。。。

でも、それをきっかけに、新作が出るたびに揃えていった。
そして、中学に入っても、この本を読みたい、リンドバーグを読んでもらったの覚えてる、このシリーズが一番好きだと。

何がきっかけになるか分からないなぁと思いながら、今日この本を読む。

絵もリアルだけど、物語もひょっとしたらホントにネズミが?と思ってしまうくらい面白い。

 

コロナ禍で寺内の人流は相変わらず少ないけれど、いろんな珍客往来。

胡麻斑髪切(ゴマダラカミキリ)

「胡麻斑」 〈ごま まだら〉と書いて「ゴマダラ」
ゴマちゃんで知られるゴマフアザラシは「胡麻斑海豹」と書いて〈ごまふ あざらし〉と読む。
〈ごまだら〉と〈ごまふ〉、その線引はどこだろう。。。

赤手蟹 (アカテガニ)

まるで真っ赤っかのボクシンググローブを着けてるみたい。
カニは何故横に歩くのだろう。。。

 

木瓜 (ボケ)

木瓜の実が黄色く色づいた。
先日、『いのちの荘厳 仏華』(本願寺出版社)を読んでいると、ボケはトゲがあるので仏華には向かない「禁花」であると。

そこで初めて、ボケってトゲのある花だったのか。。。と。
専徳寺のボケはすべてトゲなし。
特に手水鉢の側のボケは、トゲがないので水浴びに来たメジロの止まり木。

女郎花 (おみなえし)

桜の側に植えた女郎花の背丈が急に伸びて、その先につぼみが。
どんな花が咲くかなぁ。
その隣の藤袴はバッタに葉っぱをかなり食べられたので、花をつけるかちょっと心配。

 

 

想像力は知識より大切だ。
なぜなら、知識には限界があるからだ。
  -アルベルト・アインシュタイン-

知識には限界があるけれど、ご縁に限界はない。
いろんな人やいろんなことに出会い、いろんなものに触れていくだけで、想像する力が生まれる。
もちろん、触れたくない縁もあるかも知れないけれど。。。

それもまたご縁なのかな。

蚇蠖

6月28日(月)

境内の植木鉢のふちに一本の細い枝がピンと。

??じっと見てると、何と!動き出した。

 
 
 
 
 
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尺取り虫。

シャクガと言う蛾の幼虫。

中国の曇鸞大師は『往生論註』に「蚇蠖しゃっかく ・蚕繭さんけん 」の譬えを。
《参考》浄土真宗本願寺派総合研究所

仏本ぶつもとこの荘厳しょうごん清浄しょうじょう功徳くどくおこしたまへる所以ゆえんは、三界さんがいそなはすに、これ虚偽こぎそう、これ輪転りんでんそう、これ無窮むぐうそうにして、蚇蠖しゃっかく 〈 かがまりぶるむしなり 〉の循環じゅんかんするがごとく、蚕繭さんけん 〈蚕衣さんえなり〉 の自縛じばくするがごとし。あはれなるかな衆生しゅじょう、この三界さんがいしばむすびてけず 〉られて、顛倒てんどう不浄ふじょうなり。(『往生論註』七祖註釈版57頁)

「蚇蠖」と言うのが尺取り虫。
植木鉢の縁をぐるぐるぐるぐると回っている姿がまさに循環するがごとく。

かいこは糸を出してまゆを作り、自分を閉じ込めてしまう。

そんな虫の姿を譬えて、私たちの世界は迷いの境界だとお示しくださった。

 

また、曇鸞大師は他にも有名な譬えで、

蟪蛄けいこ春秋しゅんじゅうらず」といふがごとし。この虫あに朱陽しゅようせつらんや。るものこれをいふのみ。(『往生論註』七祖註釈版98頁)

と。
『荘子』の「朝菌ちょうきん晦朔かいさくを知らず。蟪蛄けいこは春秋を知らず」を引用した譬え。
蟪蛄」とはセミのこと。「朱陽」とは夏のこと。

 

虫、鳥、花、取り巻く世界すべてがお念仏のご縁に。

 

 

 

生と死

6月22日(火)

〈死〉について、なるべく避けて通りたいと思っている方が多いのではないだろうか。

ただ、

われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすゑの露よりもしげしといへり。(白骨の御文章)

誰もが避けては通れない。

 

そんな〈死〉を語り合う活動が若い方を中心に行われているそう。

『本願寺新報』6月20日号の掲載記事を見て、 

死生観光トランプ

を早速注文。
 ホームページ《ワカゾー流デスカフェ》より

昨年クラウドファンディングで販売されたのを知った時にはすでに遅し。。。
でも、遅ればせながら。
本日、届いた。

ホームページより無料ダウンロードも出来るようだけど、やっぱり実物が良い。

 

世界中の《死生観》から、《死》について身近な問題として考えることができるかも。

 

また、先日取り寄せて読んでいる本がこちら。

『お葬式の言葉と風習』

 柳田國男『葬送習俗語彙』の絵解き辞典 (髙橋繁行)

 

お葬式にはよく分からず使っている言葉も多い。
また、他所の地域のこと、他所の宗派のことは知らないことだらけ。

「門徒もの知らず」

これだけ見ると、そうかも。

この辺では知らないことばかり。

 

原本の『葬送習俗語彙』は、国立国会図書館デジタルコレクションでも読むことができるけれど、この本は切り絵の白黒の挿絵が何とも。

 

そして、この本に何とも不思議なことが。

広島へタバコ買いに行った

人が死んだことを意味するユニークな隠語。亡者が広島へタバコを買いに行くのでなく、裏の意味する本命は、世界遺産の厳島神社と背後にそびえる霊山、弥山みせん。中国・四国地方では厳島神社を他界とする観念があって、こう呼ぶようになった。弥山は、特に瀬戸内海対岸の四国の人々が、死んだら魂はこの山に還ると言われている。同様の言い方で、近畿圏では熊野に、東北地方の人々は恐山に還るという。日本人は十万億土のかなたの阿弥陀浄土よりも、身近な山中他界にあの世を求めがちだ。

「広島へタバコ買いに行った」なんて言葉をこのあたりでは一度も聞いたことがない。

 

海の上に建つ厳島神社は、平清盛がお浄土を表した建物と言うのはよく聞く話ではあるけれど。

 

「終活」

自らのお葬式のこと、お墓のことを準備することを言うのではなく、〈死〉と向き合うことで、最後までどう自分らしい人生を送るかという準備。

〈死〉を通して〈生〉を。

 

緊急事態宣言が解除され、今日は午後から久しぶりに広島別院でサンガ部会。

何だか浦島太郎。。。