7月1日(木)
今日から7月。
そして、今日は呉空襲の日。
いろいろと思いを馳せながら。。。
国立国会図書館デジタルコレクションの『現代名流自伝』第1編に、前田慧雲勧学が「子の受けたる境遇と感化」と題して書かれた中に、石泉僧叡和上のことを挙げられていたので紹介。
石泉僧叡の事蹟に感ず
それから二三年の後、父から仏学の談を聞くに就て、時々真宗の先哲の譚をして呉れた事があります。其の中に就て最も感じたのが、芸州の石泉僧叡といふ人のことで、父がそれを談すに就て、学問と云ふものは、此人の様な学問でないと真実な学問でない。此石泉師のは自身の心の底からして出た学問で、真の学問である。書物に書いてあるのを読んで覚えたり、口の上から聞き込んだ丈けのものでは、学問とは云へない。今日の学者は皆書物の上の事を受売したり、師匠の云ふた事を繰り返すに過ぎないので、真実の学者でない。真実の学者は、自分で一見識を立てて、自分の心から出したものでなけらねばならぬ。処が此僧叡と云ふ人は、自分の説が当時の学者に容れられず、本願寺からして糺問を受けたけれどもそれにも屈せず、安芸国の一田舎の長浜といふ処に隠居して、自ら学生を養うて、一生の間本山へは用ゐられずして終った。その僧叡の目から見ると、本山に用ゐられてゐる学者共は子供同様であって、初めから相手にしなかった位であると話されて、大に感動しました。成程、学問は書物に書いてある通りを其儘云ふてゐる様ではつまらぬ。どうしても一個の説を立てねばならぬといふ考が起りました。其後と云ふものは書物を見る度に、無理矢理にでも自説をこしらへて見やうと力めて、論語を読んだ時には『論語考』といふものを書いて、其草稿が何処やらに有りましたが、今見るといふと可笑しい事ばかりではあるが、斯う云ふ事が多少の見識をつけました。
学問とは、そのまま受け売りするのでなく、自身の心の底から出てくるもの。
いつの時代も、先人の言葉に学ぶべきことが。
ちなみに、前田慧雲勧学は、専徳寺に建つ大洲順道の頌徳碑を書いてくださっている。