11月13日(金)
今年はコロナ禍で法座もなく、つとめあいの報恩講法要出勤もなく、通り報恩講と年回法事を粛々と。
古新開・本町・大新開・名田、各地区の通り報恩講が一段落。
先日、お参りさせていただくと、終わった後に御文章を開いて見せてくださった。
「釋文如(しゃく・もんにょ)」
昨年、本願寺第17世 法如上人〈寛保3(1743)年~寛政元(1789)年在位〉の時代に下附された御文章を受け継ぎ、大切になさっているお宅をぶろぐで紹介したが、文如上人はその次の第18世に当たる御門主〈寛政元(1789)年~寛政11(1799)年在位〉。10年間という短い在位期間、そして翌寛政12年が石泉社創設なので、これも随分貴重な御文章。
御主人が亡くなってから、この古い御文章を毎日一章ずつ読んでいるそう。
「おかげさまで、お念仏を称える意味がようやく分かりました」と笑顔で。
今日は年回法事で、とあるご家庭に。
お仏間に通されると、家の方はお一人で、「今日はオンラインで」と。
ふと見ると、お仏壇の反対側の棚の上にタブレット端末。
そこに3つの画面。
「みんなで揃ってと思ってましたけど、県外と国外におりますので。。。」と。
おつとめ前から子供の声が聞こえてくるけど、それはそれでいいかなと思いながらいつも通りおつとめ。
すると、終わった時にその子の「ありがとう」の声を聞いて、ちょっとうれしくなり、画面に向かって手を振ってしまった。
どこまで伝わっているか分からないけれど、「あの時のご法事はオンラインで」ってなればいいな。
「オンライン法事」
今月末に関東在住の方とのオンライン法事の準備をしているところで、思わず初めてのオンライン法事。
しかも海外に。
ただ、かなり遅れて私の声のような声が聞こえたような。。。
これも体験しないと分からないことかな。
この体験を次にいかして。