8月20日(火)
今朝は雨。
昨日に引き続いて、盂蘭盆会。
朝席では、親の願いと子の願いから、阿弥陀さまの願いのお味わい。
朝席でご紹介のあった
十億の人に十億の母あらむも わが母にまさる母ありなむや
これは暁烏敏(あけがらす はや)の言葉だそう。
いろいろと聞かせていただきながら、ここ数日、テレビであおり運転の映像を何度も何度も観てきたことを、ふと。
仏さまのこころは怨親平等。
でも、私のこころは、、、親のこころは。。。
昼席は「聞」をテーマに。
至り届いていても、聞かせていただかないと分からないことばかり。
“お盆”も、地方によっていろいろ。
先日里帰りした坊守から、京都ではお盆に「お供物入れ 京都市」と書かれたダンボール箱がいっぱい並んでるのにビックリしたと。
そんなことも気になっていろいろ調べていたら、国立国会図書館デジタルコレクションで柳田邦男の『葬送習俗語彙』に行き当たった。
18ページ、
マクラガヘシ 能登地方では枕がへし。又オギョウギといふ名もある。死体の下肢を曲げて入棺に便ならしめる故に御行儀である。寝床には刃物を置き、逆さ屏風を立てまはし、所謂紙花(シカ)などを用意して僧の来るのを待つのである(珠洲郡誌)。安芸の佐伯郡などでは、僧侶の枕経のことを枕返しと謂って居る(葬号)。肥前島原地方のマクラゲシは、近所の者が寺へ知らせに行くことであった。息を引取ると同時に仏壇には香を焚き、米と若干の賽銭を持たせて、寺へ行って貰ふので、此使者を枕ゲシ持ちと謂ふから或はその米銭が枕ゲシであったのかも知れない。枕ゲシ持ちには死者の魂が附いて寺に行くといふので、相当に重要な役となって居る。途中人に逢っても物を言はず、人もよく是を察するといふ(同上)。
このあたりでは、臨終勤行を「枕返し」という。
よそでも同じ言葉で使うところもあったり、違う意味で使うところもあったり。ちなみに「枕返し」とググると、妖怪「枕返し」と。。。
夜席では、庭からコオロギの大合唱が聞こえてくる中でのお聴聞。

御利益の話より。
浄土真宗では、十種類の御利益を親鸞聖人はお示しになられた。(現生十益)
その中の、“入正定聚の益”と”常行大悲の益”についてお味わい。
目連尊者のお母さんは餓鬼道に。
そんなことになったら、気が気でないだろうけど、阿弥陀さまの願いの中にいるものは、みんなお浄土で会うことができる。
明日の朝で御満座。
朝席後に石泉文庫へ虫干しの時にお預かりしている蔵書を返す予定。
ようこそのお参りでした。