9月10日(火)
今日も残暑厳しい中、午後から善通寺にて呉東組聞名講の9月例会。
おつとめ、御消息拝読、御法話に続いて、今日の御示談は
いつものように、役員の方に用意していただいた質問用紙の回答より。
尋ねてみると、今日お集まりの方々は、みなさま生まれた時から浄土真宗のご家庭に育った方。
嫁いできた家がたまたま浄土真宗だったからという方はいらっしゃらなかったが、その逆に嫁いだ娘さんが他宗の家であったため、戸惑いのあった話も。
「仏縁」
毎日の生活の中で、お念仏の出てくるようなご縁がありますでしょうか?と尋ねたら、
朝、眺める瀬戸の島々の稜線が、仏さまの横顔に見えるんですと仰られる方。
畑で草を抜いている時に、ふとお念仏が・・・と仰られる方。
いろんなご縁を聞かせていただいた。
昨日、広南小学校の参観日で、5年生の国語を参観。
『水のこころ』という詩。
水のこころ
高田敏子水は つかめません
水は すくうのです
指をぴったりつけて
そおっと 大切に──水は つかめません
水は つつむのです
二つの手の中に
そおっと 大切に──水のこころ も
人のこころ も
「つかむ」 「すくう」 「つつむ」、それぞれの持つ意味を子どもたちが読み取っていく。
「つかむ」 ・・・ しっかりと 強い感じ
「すくう」「つつむ」・・・ やさしい感じ
と。
ここでの「すくう」は、「掬う」。
「すくう」 〈救う〉。
やさしい感じ。
「摂取して捨てざれば」
摂(おさ)めとる。ひとたびとりて永く捨てぬなり。摂はものの逃ぐるを追はへ取るなり。摂はをさめとる、取は迎へとる。 浄土和讃 左訓より
何だか力強く感じていたけど、〈ことば〉の持つ響きに仏さまのやさしさを。
暑い中をようこそのお参りでした。