長浜 よいこらしょ 歴史ウォーキング

11月26日(日)

今朝はどんよりと曇り空。

長浜連合自治会主催の歴史ウォーキングが予定どおり行われ、長浜の史跡などをいろいろとまわられて、途中専徳寺へお立ち寄り。

石泉僧叡和上や宇都宮黙霖についての話をする機会は多いのだが、このたびは専徳寺で「大洲順道」のことを話して欲しいとの依頼があり、その話をすることに。

大洲順道は、明治10年に当山専徳寺の第17世住職として入寺された。

今のむくり屋根の本堂などは、その順道の時に建てられたもの。

入寺以前、明治に入ってすぐ、キリスト教が入ってくるからと、長崎へと赴いてキリスト教を学び、その功績を讃えられ、本山から広如上人の遺墨「旃檀林(せんだんりん)」の書をいただき、その書が今も専徳寺の扁額として外陣正面に掲げられている。

また、教務省設立や本願寺でもいろいろと活躍されたようで、専徳寺の住職となってからも、鹿児島別院(当時は出張所)に所長として赴任し、念仏禁制のとけた鹿児島の地にお念仏をひろめられたとか、当時の賀茂郡広村の藤田譲夫村長・岩西健造助役と一緒に全国第一等の模範村に築き上げ、その功績を讃えられ、今でも広公園にはこの3人を讃えた頌徳碑が建っているとか、この人のことはいろんな話が出て来る出て来る。

また、村是「教育第一」とのつながりもいろいろと。

専徳寺から上へ上がられた方は、大変だったと後での話。

でも、よかったとの話も。  

2017年11月26日 | カテゴリー : 長浜 | 投稿者 : sentoku