9月26日(火)
昨日に続いて、秋季彼岸会。 日中はまだまだ暑い。。。
朝席では、老・病・死、自分に迫っている現実と向き合うことのお話より。
そして、昼席では、
「我(が)」を忘れることがなかなか出来ないお話より、正岡子規のことば、
「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居ることであった。」(病牀六尺)
というお話を聞かせていただいた。
(ちなみに、このことばの続きは、
「因みに問ふ。狗子に仏性ありや。曰、苦。 また問ふ。祖師再来の意は奈何。曰、苦。 また問ふ。……………………………。曰、苦。
と、すべて答えは「苦」だそう。)
そんなことを聞かせていただきながら、
「向き合う」というのは、老・病・死を真正面から相対するというよりも、
老・病・死を受け容れて、ともに歩むということなんだなぁと。
今日は、朝席が終わり、午前中は広南中学校の学校関係者評価委員会に。
1時間、それぞれの教室を参観し、そのあと、いろんなお話を聞かせていただいた。
問題はなくはないそうだけど、学校の生徒と先生、地域も同じ方向にともに歩んでいる。
何だかそんなふうにも。
夕方、石泉文庫で写真を撮りたいと、広南中学校の企業企画でもくりんさんが。
薄暗い石泉文庫で写真撮影。
明日のFacebookに載るかな。
夜席も、引き続いて「苦」のお話より。
抜苦与楽とはいうものの、なかなか楽にはならないと。
「苦」とともに歩む。お浄土までの道を。
ようこそのお参りでした。