9月11日(月)
午後、戸田説教所にて呉東組聞名講9月例会。
おつとめ、御消息拝読に続いて法話。
今回法話の担当。
如来の作願をたづぬれば
苦悩の有情をすてずして
回向を首としたまひて
大悲心をば成就せり
のお味わいを。
終わって控室に戻ると、机の上に“ところてん”が。
冷たいところてんを頂いて、ご示談に。
今日、役員さんがご用意してくださった質問は、
「〇〇を信ずべし」と正信偈にも和讃にも示されていますが、この言葉をどのように頂戴されていますか?
その問いに、何と!
読みは「信ずべし」ですが、「信じなければならない」ではなく、「素直に聞かせてもらい、そのまんまをいただきなさいよ」と示されていると頂戴しています。
と、何だかすごい!と思うような回答。
そのほか、ご門主さまのご教示、「念仏者の生き方」に示されている「少欲知足」。
念仏をいただいても、欲がなくならないのだけれど、、、との問い。
欲はなくならないけど、仏さまのこころを知る、私のこころを知る。
知るのと知らないとの違いは大きいかな。
それから数年前にここで出た質問の答えを法中より。 この言葉は何て読むのですか?
遂其終 (其の終わりを遂ぐ)
どうもお経の言葉ではないらしいが、最後まで成し遂げるとの意味があるらしい。
ただ、ここに掛かる意味としてはどうかと思うと、ここでのお聴聞のご縁で、今迷いの世界の終わりを遂げるとの意味なのかと、ふと。
帰る頃には雨が。。。
ようこそのお参りでした。