呉東組聞名講 9月例会

9月12日(月)

今日は雨が降るなか、午後から広白石の白石説教所にて聞名講の例会。

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いつものように、正信偈のおつとめに続いて、御消息の拝読、そして法話。 引き続いて御示談と。 今回は役員さんから、

教義には、「信心をめぐまれ」とありますが、この言葉をどのようにいただかれていますか?

という質問から。 この質問に、

「阿弥陀仏のはたらきによって念仏する人生」
「阿弥陀如来の〈かならずすくう。まかせよ〉のお心をめぐまれること。確かな拯いの中にある私」
「信心とは無疑心として信心しております」

などという回答が寄せられる。

「めぐむ」ということばの語源を調べると、「恵」は、これも諸説あるみたいだけれど、「糸巻き」と「心」から成り立つ字だそう。

「糸巻き」はグルグルと大切なもので包み込む姿だそうで、なるほど、阿弥陀さまの御慈悲のなかに包まれている姿を「信心をめぐまれる」とあらわすのだなぁと。。。

その他、浄土真宗の教章〈教義〉のなかに出て来る「迷いの世に還って人々を教化する」についての質問も。

 

帰宅して、『市政だより くれ 10月号』を開く。

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表紙をめくると、特集「奏(かなで) ~明日へつなげるメロディー~」に、坂田明さんの記事。

お盆に久しぶりにバッタリとお会いして、次男と一緒に写真を撮らせていただいたけれど、今ひとつ分かっていなかったみたい。

でも、この写真を見せると、「え~!」と驚いて。 そこに、

音楽で最も大切なのは、みんなが歌ったり、演奏したりできること。 子どもの頃に口ずさんでいた曲は、大人になっても自然と歌うことができますよね。それは、テレビやラジオ、学校の授業などで耳にする機会があって、いつの間にか体の中になじんでいるからなんです。音楽に限らず文化が生きつづけていくには、いつも身近にあり、日頃から親しむことが大切。そのためには、子どもの頃から自然と音楽が聞こえてくるような環境を作ってあげることが必要です。

と。 音楽もお念仏も同じだと頷きながら。。。

雨のなかをようこそのお参りでした。  

2016年9月12日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku