7月8日(金)
昨日までの暑い青空はなくなり、朝から雨。
今夜は仏教壮年会の7月例会。
テーマは、折り鶴を通して『祈り』。
安芸教区では、昨年に続いて、ただいま首位独走中の広島カープとのコラボ折り紙を製作。
8月6日のピースナイターでは、来場された方に折り鶴を折っていただくことに。
「折り鶴」といえば、5月末に広島を訪れたオバマ大統領の折り鶴。
そして、その原点ともなった佐々木貞子さんの折り鶴。
今日は雨の降るなか、広島平和記念公園へ。
原爆の子の像。
その像の下には、
これはぼくらの叫びです
これは私たちの祈りです
世界に平和をきずくための
の石碑。
平和記念資料館には、たくさんの外国からの観光客。
佐々木貞子さんのお葬式で、形見として参列者に配られた折り鶴。
そして、オバマ大統領の折り鶴。
最後に国立広島原爆死没者追悼平和祈念館。
ここに来ると、「祈り」が溢れている。
いろんなところで、少し「祈り」について考えた。
浄土真宗は、「祈りなき宗教」(本願寺HP参照)。
「祈り」とは、「神などの人間を超える神格化されたものに対して、何かの実現を願うこと」と。
自分の欲求を満たすための祈りであれば、浄土真宗の御法義とは違うので、「祈りなき」となるのであるが、親鸞聖人は御消息の中で、
それにつけても念仏を深くたのみて、世のいのりに、こころをいれて、もうしあはせたまふべしとぞおぼえ候ふ。
と、「いのり」の言葉を使っておられる。
大谷派の親鸞仏教センターの英訳「教行信証」研究会HPに、ケネス田中先生の指摘として、「本願」を一般的には“original vow”、“primal vow” と翻訳されているのを、鈴木大拙氏は“orignal prayer”と翻訳している。アメリカでは、“vow”よりも、“prayer”の方が多くの方に受け入れやすいと。
また、東日本大震災や熊本大地震の際、よく見かけた“Pray for Japan”。
直訳では「日本のために(神に)祈りましょう」。
でも、ニュアンスとして、日本の人たちに同情しているよとか、日本の人たちに心を寄せようという感じの言葉でもあるらしい。
そんなことや、「小さな祈りプロジェクト」のようなサイトをうかがっていると、どうやら「祈り」という言葉の概念と、現代使われている「祈り」って、ちょっと違うのかな。
自らの欲求を満たすための祈りではなく、世の中、他の人に心を寄せる祈り。
ただ単に「祈り」を否定的に見るのでなく、今日は「祈り」を少し考えて。。。
雨のなかをようこそのお参りでした。