5月8日(日)
今夜は仏教壮年会の5月例会。
今日のテーマは、「母の日」ということもあり、母にまつわる話も入れて。。。
以前、法座で聞かせていただいたアインシュタインが来日した時の話より。 アインシュタインが大正11年に来日したとき、仏教について話を聞きたいと、大谷派の近角常観と対談されたそう。
「仏さまとはどんなお方ですか?」との問いに、姥捨山の話をして、「この母の姿こそ、仏さまの姿であります」と説かれたと。 自分のことよりも、我が子を思う親心を仏さまの慈悲の心に喩えられたことで、アインシュタインは大変感動されたというお話。
でも、親鸞聖人は『歎異抄』の中で、
今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。
と述べ、また、ご和讃にも、
小慈小悲もなき身にて 有情利益はおもふまじ 如来の願船 いまさずば いかでか苦海わたるべき
と、私たちにはその小さな慈悲の心さえもないとお示しになられている。 それについて、先日面白いことを見つけた。 広島カープの新井選手が2000本安打を達成したとき、達川光男さんが記事の中で、
努力した者が成功するとは限らない。しかし、成功する者は皆努力をしている。
という言葉を紹介しているのを見て、どなたの言葉だろうと調べてみた。
すると、この言葉はベートーベンの言葉だということが分かったのだが、その時、他の人の「努力」に対するいろいろな名言を紹介しているものを目にした。
そこにあった明石家さんまさんがラジオで話された言葉が目に止まった。
好きだからやってるだけよ、で終わっといた方がええね。これが報われるんだと思うと良くない。こんだけ努力してるのに何でってなると腹が立つやろ。人は見返りを求めるとろくなことないからね。見返りなしでできる人が一番素敵な人やね。 (2014年6月7日放送『MBSヤングタウン土曜日)
これは「努力は報われる」ということに対して持論を述べたものだけど、何だかこの「慈悲」のこととも通じてるかな。
腹が立つ、見返りを求める。
それが私たちの心。
そう思うと、「好きだからやってるだけ」。
阿弥陀さまの願いが届いてるから、何の見返りもいらない。
「好きだからやってるだけ」が私たちの今できることかなと。
ようこそのお参りでした。