8月27日(木)
今朝、「10年連れ添った犬が亡くなったのでお参りして欲しい」との依頼を受けてお参りに。
御家族みなさん、きちんと喪服姿。
「こどものように可愛がってましたから。。。」と。
「亡くなる」という表現は、人間の死に対して使う言葉だと聞く。
先日、BSプレミアム『世界ミステリー遺産に挑む』という、俳優の鈴木亮平さんの番組が放映された。
そこで、興味深い話があって、その言葉にひっかかった。
イタリアの隣、スロベニアの養蜂の村を訪れた時、そこの人は昔から蜂と共生していて、蜂が命を終えることを、人間と同じく「umre(ウムレ)」、それ以外の他の動物は「pogine(ポギーネ)」というのだそう。
番組では、ウムレは日本語で「亡くなる」、ポギーネは単に「死ぬ」と。
蜂がこの地方の人たちにとって、いかに大切な存在であるのかと紹介していた。
また、先の日曜日、小学校PTAの七校球技大会というのがあって、今年は広南小学校が担当校。でも、その日は1日法務で応援にも行けないので、前日の準備だけ参加させていただいた。
その会場となった広にある大学の校内で、ふと目に止まったのが、
「実験動物慰霊碑」
調べてみると、ここのように医学や薬学の学部のある日本の学校、研究施設には、「慰霊碑」があり、「慰霊祭」を行っているような紹介がしてあった。
そして、そこにふと変わった石碑の写真を見つけ、よく見てみると、何と国立呉病院にある石碑だということで行ってみた。
駐車場に車を駐め、あちこちと歩き回ったけど、それらしい石碑もなく、駐車場の係の方に尋ねてみると、「私もよく分からないけど、この駐車場のずっと奥にあるのかな。。。」と。
駐車場のずっと奥の建物の横を通っていくと、
ひっそりと、木に埋まるかのようにあった!
「底栗車之塔」
「底栗車」とは、「チリシャ」と発音するそうで、サンスクリット語のTiryagyoniの音写に由来し、「畜生」と訳される。
海軍病院時代に、実験動物を弔うため、昭和9年(1934年)に建てられた碑文だそう。
実験のためとはいえ、命を終えていった動物たちに、その命を敬うこころを現している姿かな。
「亡くなる」と「死ぬ」。
その線引きは、どこだろう。
結局、私との関わりなのかな。。。
私にとって敬う存在。
と、そうでない存在。
何はともあれ、御家族がそろってお念仏に出遇えた。
その「いのち」との大切な出会いに感謝。
今夜は久しぶりに寺の本堂でお通夜。
正信偈を唱えていると、御同行の声と一緒にコオロギや鈴虫の声。