11月18日(月)
今朝は広南小学校の読み聞かせ。
3年生を担当。
今日読んだ本は、宮沢賢治の『竜のはなし』。
短い文章で、決して内容は楽しいものではないのだが、とても深い物語。
ゆっくりと低い声で読むことに。
みんな、じっと静かに聞いていた。
浄土真宗本願寺派僧侶でもあった童話作家花岡大学氏を調べていて見つけた絵本。
あとがきに『「賢治童話」の「やさしい心」』と題して、花岡氏が記している。
どちらかといえば相手が幼児だからといって絵本がなにかファンタジーの世界だけによりかかろうとするような傾向のつよいことに、いささか不満を持っていたわたしは、もちろん教育が喪失している「あるべき精神」をちゃんとふまえて、今深く考えなければならない問題をいっぱいにみなぎらせながらしかも絵本のこれからのあるべき方向を示しているこの作品をみて、久しぶりに昂奮し感激した。
と。その「あるべき精神」とは、「やさしさ」。
だがその「やさしさ」とは、日常的な語感による「なよなよした優美なやさしさ」ではなく、「強靱なやさしさ」といってよく、つまり「自」を「他」に投入していさぎよく「死」に、いささかも、「はね返ってくるもの」を求めないといった、すさまじい精神のことである。
と。
表紙を開くと、
このはなしはおとぎばなしではありません。賢治
と、はじまる。
もう悪いことはしない、すべてのものを悩まさないと誓った竜。
人に皮をはがされても、虫にからだを食べられても、まことの道を求めてじっとなすがまま。
そして死んでしまい、後にお釈迦さまとして生まれ、みんなにいちばんの幸せを与えたという竜の話。
読み終わって「どうでしたか?」と尋ねたら、「・・・」。
「こんな生き方出来る?」と尋ねたら、「無理に決まってる!そんなことしたら死んでしまうし。」
「他者のために」という生き方は、自分中心の生き方をする人間にとって、とっても難しい。
他の命をいただきながら、自分は今を生きているのだから。
この竜のような生き方は出来なくても、この竜から今の自分を知ることは少しくらい出来たかな。