8月6日(火)
朝、境内に一輪の白百合が咲いた。
昭和20年8月6日午前8時15分。
広島市に原爆が投下されたあの日から68年。
今年も8時15分に梵鐘を撞く。
今年も長男が。
先日の日曜学校の平和学習に参加したので、去年とは少し違った思いで撞いただろうか。
その後、家族揃って本堂でおつとめ。
私も当時のことは伝え聞くだけだが、伝え聞くこともなくなったら、あの戦争も・・・。
お盆のことをいろいろと調べていて、『盆まねき』という本に出会った。
俊助おじさんは一九四五年に一度死んでしまいましたが、のこされた家族の心のなかでずっと生きつづけていたのです。でも、やがて、おじさんをおぼえている人がいなくなり、みんなからすっかりわすれられたとき、俊助おじさんは、こんどこそほんとうに、この世から消えてなくなってしまうでしょう。
戦争で命を落としたおじさんを、もう一度死なせたくなかったわたしは、俊助おじさんという人がいたことを、そして、おじさんを愛する家族がいて、その人たちは戦争がおわってからもずっと、大切な人をうしなったすきまを胸にかかえて、善良に、ほがらかに、一生懸命生きていたのだということを書いておきたいと思いました。この物語はわたしの家族の物語ですが、あの大きな戦争のあとには、日本中に、いえ、世界中に、こんな家族がたくさんいただろうと思います。
今日は特別養護老人ホームにて、お盆を前にこの1年間に亡くなられた入居者の方々の追悼法要をおつとめさせていただいた。
ご遺族、ホームに入居されている方、職員と、いろんな方がそれぞれに故人を偲びながらのご縁に。
お盆。
浄土真宗の御法義からすれば、施餓鬼もなければ、精霊もない。
ただ、先に往かれた方々を偲び、ご縁にあう。
平生が難しければ、せめてお盆、お彼岸に。