6月19日(水)
今にも雨が降り出しそうな空の下、朝席で仏教婦人会法座も御満座。
海からイリコ漁の漁船の音が響いてくる。
悪いと知ってする悪いおこないと、悪いと知らずにする悪いおこない。
どちらの罪が重いかという話を聞かせていただいた。
単純に考えると、そりゃ、悪いと知っててする方が悪い!と思ってしまうが、実は悪いと知らずにする方の罪が重いのだと。
悪いと知ってするのであれば、その人には罪の認識がある。
でも、悪いと知らずにする人には、したことに対しての罪の意識がない。
それを悪いことと気づかなければ、いつまでもそれを当たり前のように振る舞ってしまう。
気づくこと、気づかされることの大切さ。
一僧侶として、衣を着ているときはとりあえずONのスイッチが入っている。
以前、報恩講参りで正信偈をとなえているとき、ふと何気に下を見ると、腕にムカデが這っていた。
衣を着ていないときだと、恐らく飛び上がって驚き、アタフタとしてしまったのだろうが、その時は自分でも驚くほど冷静に、何ごともなかったようにスッと払いのけた。
我ながら・・・と思いたいところではあるが、OFFになっているときだと恐らく・・・。
そんな私だからこそ、衣を着けさせていただいているのであろう。
ONとOFF。
自らの姿を照らされて明らかに。
ようこそのお参りでした。