大晦日

12月31日(火)

平成25年(2013)も今日でおしまい。

昨日、最後の法事を終え、今日は除夜会・元旦会に向けての準備。

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このたび、打敷の下に掛ける水引(下掛け)を新調。

紺地に藤の柄が入った美しい水引なのだが、その上に打敷を掛けるため、ほとんど見えなくなる。

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でも、赤い打敷の下に少しだけ見える下掛けの藤が浮き立って見えるから、何とも不思議。

 

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左余間(御本尊に向かって右側)にはご門徒さんからの新年のお供えを。

 

今夜は天気は良さそうだが、風がどうかな?

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除夜会で使う蓮は、仏教壮年会の例会で作ったものと、そのあとにたくさん作って来てくださったもの。

せっかく作ってくださったので、今宵は境内にこの蓮がきれいに咲くと良いな。

 

お参りに来られる方は、どうぞ暖かくしてお参りを。

 

2013年12月31日 | カテゴリー : 行事 | 投稿者 : sentoku

呉東組法中会

12月29日(日)

今年最後の日曜日は、昨日に続いて朝から寒い。

本堂の外陣にはストーブがあるのだが、内陣には暖房器具は一切なし。

白い息を吐きながら、氷のように冷たくなった節柝(せったく/拍子木のようなもの)を叩いての読経・・・。

 

今夜は呉東組法中会が広の法謙寺にて。

年が明けて御正忌が終わると、いろいろと組内行事が立て続けに。

それらの確認事項が主な議案。

 

来月末、呉東組仏教婦人会連盟の新年会で、今年の御正忌に隣寺の住蓮寺で拝見させていただいた安藤圣一氏の人形説きのご縁に再びあわせていただくことに。

あれから1年。

年が明けたら毎年恒例の小坪説教所と自坊の御正忌。
このたびは何のお話をさせていただこう・・・。

 

2013年12月29日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

灰ヶ峰雪化粧

12月28日(土)

年末にこの冬一番の寒さかなと思うほどの寒さ。

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朝から法事で、小坪からの帰りに雪化粧の灰ヶ峰を眺める。

ふと、今年の夏、ここから見える灰ヶ峰の反対側で、全国ニュースにもなった痛ましい事件があったんだなぁと・・・。

大変ショッキングな事件も、時間が経つと忘れてしまっている。

ふり返ることがなかったら、ずっと忘れているかも。

 

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寒くても、沖にはたくさんの漁船が。

そして、寒くても、いつもテトラポットでからだを丸くしているイソヒヨドリの姿。

ふり返ることがなかったら、いつもの姿に、年の暮れということさえ気づかずに過ごしているかも。

 

今年の漢字は「輪」だったそう。

東京五輪決定、自然災害等への支援の輪が選ばれた理由だったとニュースで聞いたが、「友だちの輪」ってやってた長寿番組がなくなるとニュースになったのも今年だったかな。

 

ふり返ることって大切なこと。ふり返れるってありがたいこと。

 

明日もまた冷え込みそう。みなさん、からだに気をつけて。

2013年12月28日 | カテゴリー : 地域 | 投稿者 : sentoku

呉東組忘年会

12月26日(木)

昨夜は呉のとあるお店に、呉東組内の住職・若院が集まって忘年会が開かれた。

「忘年会」とは、年内の苦労を忘れるために年末に行われる宴会だと。

 

同じ心を亡くすという字でも、「忘」と「忙」。

「亡」とは姿を消す、失うことを意味し、「」は心から姿が消え、「わすれる」の意味で、「」は心を失い、落ち着かない様子「いそがしい」を現していると。

今年も忙しい1年ではあったけれど、忙しい忙しいと忘れてはならないことまで忘れてしまわぬよう注意したいもの。

 

報恩講参りも終わり、例年年賀状の印刷に追われている時期だが、今年は前住職が亡くなったこともあり、早々に年賀欠礼挨拶状を出したので、少しのんびりとした年の瀬に。

浄土真宗では「喪中」「忌中」という表現を用いない。

御門徒さんより、お寺の場合「喪中はがき」ってどうなんですか?とも聞かれた。

そんなこともあり、喪中はがきではなく、年賀欠礼挨拶状を出して寺の立場を示せたのはよかったのかな。

寒い日が続くが、油断して風邪をひかないよう。

2013年12月26日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

広真光寺報恩講

12月19日(木)

昨日、最後の津久茂地区で、今シーズンの報恩講参りが終了。

そのあと、午後から広南学園に東京演劇アンサンブルの『銀河鉄道の夜』公演がやってくるというので、小雨の降るなか、中学校の体育館に。

時間の都合で、中休みまでしか見ることができなかったが、それでも、舞台を囲む小・中学生たちが、一緒に歌で参加したり、先生方がキャンドルをもって参加したりと、盛りだくさんの舞台を拝見。

帰ってきた小学4年生の長男に感想を聞くと、舞台が凄かったとの感想。

さすがに舞台に照明、本格的な舞台を観るといろいろ感じるものが。

その昨日の模様が本日、東京演劇アンサンブルのブログにも。

 

そして、今日は午後から大広真光寺の報恩講の御満座へ。

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肌寒く、雨がパラパラとしていたが、たくさんの方がお参りになられていた。

ここがつとめあいの最後の御寺院で、毎年ここで一段落。

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この真光寺本堂の階段脇に、梵鐘が置かれている。

呉市 有形文化財  真光寺の梵鐘

このお寺は,はじめ弘治2(1556)年,禅寺浄泉寺として建てられ,のち慶長8(1603)年,一説に寛永年間(1624~43),真宗に改めて寺号を真光寺とし,今日に及んでいます。梵鐘は,元禄元年(1688)の鋳造,作者はわかりませんが,戦争中も特に保存価値のあるものとして軍への供出を免れました。重さ60貫(225㎏)くらいで大きなものではありませんが,青銅色の美しい鐘で,側面には2体の阿弥陀如来像が彫り込まれています。鐘銘には,「正覚大音 響流十方 人雄師子 神特無量・・・元禄元年戊辰十一月日」とあり,「願主・釋空心」の名が刻まれています。

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どこもそれぞれ時代のなかに。

2013年12月19日 | カテゴリー : 行事 | 投稿者 : sentoku

仏教婦人会 本堂清掃と報恩講

12月16日(月)

読み聞かせを終え、長浜の高台にあるお宅の報恩講参り。

空気は冷たいが、風もなく、おだやか。

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朝9時から、仏教婦人会のみなさんが集まり、本堂の清掃。

そして、ピカピカになった本堂で報恩講。

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正信偈をおつとめし、そのあと法話。

 

先日、成寿園で話した「恩」の話の後日談。

「恩」とは「□」が布団を表し、「大」は寝ている人の姿。つまり、布団に大の字になって寝ている人の姿を現していると。

その時は、布団の存在、それ自体がありがたいと理解していたが、そのあと、息子たちが風邪をひき、夜中にゴホゴホと毎日のように咳き込んだ。

そのため、ぐっすり寝ることがしばらくできなかった。

そんな時にふと思った。

大の字になってぐっすり眠ることができるのは、布団のおかげだけではない。その日一日を過ごすことができた時。
そして、気がかりなことも、不安なこともなく、安心して休むことができる時。

 

今年は、伊豆大島の土砂災害をはじめ、フィリピンの台風被害。

被災された方は、夜ぐっすり寝ることができないで御苦労されている。

そんなことを思うと、ふとんで大の字に寝れているって何てありがたいことかと。

 

ご縁がととのって、今を過ごさせていただいていることに感謝しながら、お念仏。

 

午後からは来年の石泉文庫防火訓練の打ち合わせ。

来年1月17日(金)午後2時からに決定。

ご協力のほど、よろしくお願いいたします。 

 

2013年12月16日 | カテゴリー : 行事 | 投稿者 : sentoku

広南小学校読み聞かせ(21)

12月16日(月)

今日は今年最後の広南小学校読み聞かせ。

担当は4年生。

先週まで図工の時間に版画をしていたということで、ちょうど版画の絵本を見つけた。

『雪の写真家 ベントレー』

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雪の大好きな少年だったウィリー・ベントレー。

かあさんにもらった顕微鏡で雪を観察し、その結晶の美しさをみんなに見せてあげたい。

顕微鏡付きのカメラがあることを知ったウィリーは、そのことをかあさんに相談。

とうさんとかあさんは、貯めていたお金でウィリーに10頭の乳牛よりも高価な顕微鏡付きカメラを買ってあげた。

そのカメラで雪の降る日は来る日も来る日も雪の結晶を撮り続けたが、村の人たちはまったく感心を寄せなかった。

それでも、ウィリーはずっと撮り続け、次第に評価されるように。

ただただ、自分の大好きなものを世界中の人に見せてあげたいと思って。

そんなウィリー・ベントレーの物語。

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昨年は初めての読み聞かせということもあり、この報恩講時期は喉に負担のかかることは辞めさせていただいたのだが、今年は声をかけていただいて、秋も引き続いてさせていただいた。

ベントレーのようにはいかないが、私も読み聞かせを通してお裾分け。

 

そして、法務ではいただいた宝物のお裾分け。

 

願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国

2013年12月16日 | カテゴリー : 絵本 | 投稿者 : sentoku

善通寺報恩講

12月13日(金)

寺同士がお互いの法要にお参りさせていただくのを「つとめあい」と呼ぶのだが、今日は午後からそのつとめあいの御寺院 善通寺報恩講の御満座の席に。

毎年この日に合わせて、午前中は善通寺に近い塩焼・町田、そして郷原等、点在しているご門徒のお宅へ報恩講参り。

そして午後からの法要では、導師を勤めさせていただく。

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明け方は雨、午前中は風がきつく寒かったが、昼からは日差しもあり、少し穏やかに。

無事法要も終わり、帰りに本堂前にある手水鉢の説明に目がとまった。

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  有形文化財  善通寺の手水鉢

 この手水鉢は,広町善通寺境内に伝えられたもので,花こう岩でつくられ,縁に多くの盃状穴(はいじょうけつ)が刻まれています。
 また,側面には「元禄弐年(1689)四月十七日 中嶋や 釋 斿意」(釋 斿意は,広長浜の中嶋屋次郎兵衛とされる)の文字が見られます。
 盃状穴は,旧石器時代のヨーロッパに発現し,新石器時代以降は広くユーラシア大陸各地にも見いだされています。日本においても,弥生時代(約2千年前)の北九州の支石墓の蓋石や,後年の石棺の蓋石にも造石されているものが発見されており,中国地方においても発見されています。盃状穴は,豊作や安産祈願など庶民の呪術的信仰の現れとみられますが,「釋 斿意」の法名が彫られていることから,「供養」のためと考えるのが自然であり,民俗学的に意義があるものといえます。

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広長浜の中嶋屋次郎兵衛?

長浜には屋号を使うお宅が何件かあるが、「中嶋屋」とは・・・?

 

盃状穴”とは、世界中で見られるそうで、再生・不滅のシンボルとして信仰されたり、日本では子孫繁栄・死者の蘇生を願って作られたのだとか。

それで、「豊作や安産祈願など庶民の呪術的信仰の現れ・・・」との一文が添えられているのか。

 

世のなかには知らないことがまだまだいっぱい。
しかも、こんな近くに。

今日は、ちょっとした発見。
興味のないものにとっては、ただの石かも知れないけれど。

2013年12月13日 | カテゴリー : 行事 | 投稿者 : sentoku

冬桜

12月11日(水)

今日は明神地区の報恩講参り。

長浜もこれでほとんど終わった。後は津久茂・東小坪・広の北部を残すのみ。

 

報恩講をおつとめした後、山の上の専徳寺墓地まで墓参り。

こんなに寒くなるとは思っていなかったので、今日にしたのだが、一番上での墓参りは海風がきつく寒いこと。

それでも、桜が咲いていた。

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こんなに寒く、誰にも見られていないのに、花を咲かせる生命力。

そして、長浜を見下ろすと、広南小学校の校庭で体育の授業中。

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こちらもみなぎる若さ。

 

夜はついでもあって、呉の『2013イルミネーションロード』に。

呉で製造された戦艦“大和”。

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空母“赤城”。

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そして、“紫電改”。

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よそと違ったイルミネーション。

でも、これを見るたび、二度とこれらを作らなくてよい世のなかにと願うばかり。

 

寒いなかでも、いろんなことを感じさせていただく。

 

ともかくも あなた任せの 年の暮れ
       (小林一茶『おらが春』より)

      (※あなた=阿弥陀さま)

2013年12月11日 | カテゴリー : 長浜 | 投稿者 : sentoku

広南小学校読み聞かせ(20)

12月9日(月)

今朝は広南小学校の読み聞かせ。

担当は2年生。

男の子たちが前に椅子を持ってきてずらりと。

 

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今日、読んだ絵本は『きみにあえてよかった』

 

男の子ベンは、犬“スクランピイ”が大好きだった。

その大好きなスクランピイが亡くなってしまう。

悲しんでいるベンの姿を見て、お母さんが「あたらしい犬をかってみない?」と。

 

「いやだ!ぜったい!スクランピイとおなじ犬なんて、どこにもいないんだ」

 

あるとき、よその犬がしでかした姿に、スクランピイとのことを思い出し、大笑い。

スクランピイとあえて幸せだったんだと気づいたベンは、新しい犬を飼うことに。

でも、新しい犬“ハニー”は、これからもけっして、ぜったいスクランピイのかわりにはならないだろう・・・それでもハニーは、ベンのだいじな友達になったんだ。

 

きれいなやさしい色使いの絵本のなかに、いのちの終わり、別れ、そして悲しみ。その悲しみが時間とともに思い出に。

 

読み終わり、「犬を飼ってる人!」と尋ねたら、「ハイ!」と数名。

隣の男の子が、「おまえの家はネコだろ?」

「おばあちゃんの家に犬を飼ってる!」

 

いずれにしても、いつか訪れる別れ。

でも、「きみにあえてよかった」と思えるようになるといいね。

2013年12月9日 | カテゴリー : 絵本 | 投稿者 : sentoku