10月25日(木)
今日で横路地区の報恩講が修了。
新しい道路が開通して初めての報恩講。
口を揃えて騒音の話をされる。
何ごとも「便利=良いこと」ではないようだ。
今夜は住蓮寺にて我聞会。
今日の輪読は『蓮如上人御一代記聞書』の(132)(133)。
念仏するにも、よい評判を求めているかのように人が思うかもしれないので、人前では念仏しないように気をつけているが、これは実に骨の折れることである。と、ある人が言いました。普通の人と違った尊い心がけです。(現代語版より)
何とも難解な話であった。
念仏が口からこぼれ出るのを我慢するのが尊いのか、我慢するほど念仏が口からこぼれ出そうになるのが尊いのか。
いろいろと話が出たが、短い文章のなかで、どうも??という御文であった。
(133)は、つねに仏がお見通しになっていることを、恐れ多く思わなければならないとの御文。
この例会が終わって、長男から呉の公園でネコに対する残虐な事件が起こっているという話を聞いた。
仏が見ている。
お天道様が見ている。
昔からそういわれているように、そういう思いが自らの行動につつしみを持たせた。
それが無くなると、こんな理解できないような奇っ怪な事件も生まれてくる。
大切なことを大切にしていきたいもの。
法話では、地獄と極楽の長い箸の話を聞かせていただいた。
これは調べてみると、「三尺箸の譬え」というのだそうで、山田無文師の法話のなかに出てくるのが始まりのよう。
ただ、西洋でもスプーンで喩えられたりするらしいので、元々の出典は分からないが、誰もがうなずいて聞ける姿。
先日から寺に菊の花が咲き始めた。