6月27日(水)
曇り空のもと、10時30分より、安登の浄念寺にて呉東組仏教婦人会連盟の総会。
呉東組仏教婦人会20単位より各3名ずつが出席して、総会を開催。
専徳寺からも3名が出席。
午前中は、総会。
昼食をはさんで、午後から講演。
御講師は、大分の佐藤第二病院院長、龍谷大学大学院実践真宗学教授の田畑正久先生。
仏教も医療も、老・病・死をどう生きるかという課題に共通点があり、その医療と仏教の協力関係に尽力されている先生の話。
いまの医療の理想は不老長寿。
生きながらえることが重要となっているのが現状。
ただ、長生きすることが幸せなのだろうか?
誰もが幸せを願っている。
ただ、「死」が“不幸の完成”となってしまうと、何のために生まれ、何のために生きているのか。
朝起きてお念仏。
新しい一日を迎えたことに感謝。
そして、寝る前にお念仏。
そのとき、その日を一日ふり返り、今日一日を生き抜いたことに感謝。
一日一日が完結。
“今”に出遇うと、いのちの長短を問うことはないのだと。
「人間は考える葦である」で有名なパスカルの『パンセ』に、
幸福になる準備ばかりしているので、現に幸福になることはできなくなる。
ということばがあるそう。
死ぬまでその準備に明け暮れてしまう。
また、クリスチャンではあるが、今日紹介いただいた星野富弘氏の
いのちが 一番大切だと
思っていたころ
生きるのが 苦しかったいのちより大切なものが
あると知った日
生きているのが 嬉しかった
今を満足して生きる。
考えてみると、なかなかそれも出来ていない。
不平不満。愚痴ばかり。
それに気づかせていただくご縁であった。
今日出遇えたご縁に感謝。