5月10日(木)
今日は午後から広の善通寺にて、呉東組聞名講の例会。
正信偈のおつとめの後、善通寺住職による御消息拝読。
引き続いて、川尻真光寺住職が御法話。
それが終わると、御示談(ごじだん)の時間。
いつものように、最初はなかなか質問が出なかったが、今日は2つの問い。
(1)「生前」ということばの使い方。
(2)「還浄」とはどういう意味?
お葬式の時などによく聞く「生前」。
生まれる前なら前世のことになるし、「生」とは「往生」の前ということで使っているのだろうか・・・と。
「生前」とは、存命中という意味で使われているが、本来の意味からすると「死前」。
ただ、これは「死」ということばを嫌うことから、「生」に置き換えられたのだそう。
帰って調べてみると、「生前」ということばは、古くは『堤中納言物語』の「虫めづる姫君」のなかに、
「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ」とて、「生前の親ならむ、な騒ぎそ」とうちわななかし、・・・ 《参考》虫めづる姫君
と、出てくるそうだが、ここでは「前世」を意味したことばとして使われている。
この物語もなかなか読んでみると、奇妙でおもしろい。..
いずれにしても、「死」を忌み嫌うということから来ているようだ。
そして、2番目の「還浄」も、忌み嫌うことにはじまる。
このあたりでは、10数年前から亡くなったお宅の玄関先に、「忌中」でなく、「還浄」の紙が貼られるようになった。
「浄土へ還る」
浄土から来たものが再び浄土へ還るというよりも、親(阿弥陀如来)の待つふるさとへ還ると味わう方が頷いて聞けると聞かせていただく。
ようこそのお参りでした。
【お知らせ】
2年前に広島で開催された創作劇『親鸞~わが心のアジャセ』(主演:川崎麻世)が再演されることになり、今度は呉市文化ホールに。
9月13日(木)午後3時より。
観劇ご希望の方は呉東組寺院にお問い合わせを。