7月16日(土)
朝席で石泉文庫虫干し法座が御満座。
このたびは、御講師に安登の浄念寺 安達高明御住職を迎えて、「仏教とは?」をテーマにいろいろと聞かせていただいた。
そのなかで、「聴聞」の話もされた。
「聴聞」
親鸞聖人は『顕真実教行証文類』(教行信証)の「行文類」に『平等覚経』を引用され、
宿世のとき仏を見たてまつれるもの、楽(この)んで世尊の今日を聴聞せん。人の命まれに得べし。仏、世にましませどもはなはだ値(もうあ)ひがたし。信慧ありて到るべからず。もし聞見せば精進して求めよ。
の「聴聞」の左側に「ユルサレテキク」「シンジテキク」と左訓(意味)を施されている。
聴聞とは、聞いて信じるのではなく、信じて聞く。聞いて信じて許されるのではなく、許されて聞く。私が中心、私が先ではないのだ。だから、「お聞かせいただく」のである。
朝席が終わり、石泉文庫へ本を返す。
多い人で何往復していただいたのだろう。
ノウゼンカズラが青空に映える。
お手伝い、ありがとうございました。