6月19日(日)
今夜は仁方の浄徳寺にて我聞会例会。
『蓮如上人御一代記聞書』の(105)(106)を輪読。
宿善・無宿善、「まきたて」の話。
「まきたて」とは、畑に一度種をまいただけで、何も手を加えないということ。
蓮如上人は、仏法についての“まきたて”はよくないとおっしゃられた。
一通り仏法を聞いただけでもう充分と思い、自分の受け取ったところを他人に直されたくないと思うのが、仏法についての“まきたて”。
「聴聞」。
ただ信心はきくにきはまる。
まいた種に、水をやり、肥料をやり、充分な日光が当たり、いろんなご縁がととのって、美しい花を咲かせ、実を結ぶ。
信心も、いろんなご縁がととのって、こころに念仏の花を咲かせる。
法話では、初めて「仏様のことば(丁度よい)」と言う詩を紹介していただいた。
仏様のことば (丁度よい)
お前はお前で丁度よい 頭も体も名前も姓も
お前にそれは丁度よい 貧も富も親も子も
息子の嫁もその孫も それはお前に丁度よい
幸も不幸も喜びも
悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は
悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと
行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく
卑下する要もない
上もなければ下もない
死ぬ日月さえも丁度よい
仏さまと二人連れの人生
丁度よくないはずがない
丁度よいのだと聞こえた時
憶念の信が生まれます
南無阿弥陀仏
この詩は、石川県の常護寺(大谷派)の坊守 藤場美津路さんが寺報に載せたものが、いろんな形で広まり、最後の5行を省いて、木札に「良寛作」として書かれ、スキー場や観光地でも売られていたのだそう。
「丁度よいのだと聞こえた時、憶念の信が生まれます」
これが今日の『聞書』のとおりではないだろうか。