我聞会 5月例会

5月16日(月)

昨夜は住蓮寺にて呉東組我聞会。

今月より毎月開かれることに。

『蓮如上人御一代記聞書』の103、104条の輪読。

103条の

今日の日はあるまじきと思へ。
(今日という日はないものと思いなさい。)

との蓮如上人の仰せ。

「明日という日はないものと思いなさい」と言うのなら分かるが、「今日という日はないものと・・・」。
それは、今日という一日もないと思い、今という一瞬を生き、何でも今すぐやっておきなさいというこころであろう。
大切なことであっても、どうしても延ばし延ばしにしてしまいがち。
刹那刹那を大切に。

ちなみにこの刹那(せつな)、仏教での時間の概念で、きわめて短い時間を表すことば。

その後、質問で「信心」とは?、信心を得るとは自力的な言い方なのか?などという質問が出た。

信心、念仏が通じなくなってきている。
信心とは南無阿弥陀仏である。これがなかなか現代には通じない。
それを問われたとき、何と答えたら良いのか。

やはり、信心とは何かと問われると、「願い」だと私は答えるだろう。
如来の願いをこころにいただくことが信心。
その願いが南無阿弥陀仏と口に現れる。

これを石泉僧叡和上は「法相(ほっそう)の表裏(ひょうり)」ということばで現した。
信心も念仏も如来より届いた願いである。

2011年5月17日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku