忍音

5月17日(火)

忍音(しのびね)とは、その年に初めて聞くホトトギスの鳴き声。

今年も螺山にホトトギスが帰ってきたようだ。
今朝、「キョッ、キョッ、キョキョキョ」と聞こえてくる。

この声は、「テッペンカケタカ」「特許許可局(とっきょきょかきょく)」の聞きなしとして知られる。

その他にも「本尊掛けたか」。

むかし、酒の大好きなモズは、ホトトギスの金を預かって、お仏壇の仏さまを買ってくると約束しながら、その金で酒を飲んでしまった。
それで、ホトトギスが毎年この頃になると、「本尊掛けたか」と鳴いて催促する。
モズは、そう言われると困るものだから、この時期は黙って出て来ないようにしているという話が残っている。

漢字のホトトギスは、「時鳥」「不如帰」「杜鵑」「子規」などいくつもある。

また、日本で作られた『地蔵菩薩発心因縁十王経』(地蔵十王経)には、「別都頓宜寿(ほととぎす)」と出てくる。

正岡子規は、血を吐きながら鳴くと言われるホトトギスと、結核で血を吐く自分の姿を重ね、自らを「子規」と名づけたのは、有名な話だ。

それから、今日の夕方、車で出ようとしたところ、目の前に長いひものようなものが落ちていた。

近づいてよく見ると、

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何と、アオダイショウ!

ひかないように、車でそーっとよけて出ようとしたら、波打ったようになっていた身体がピンっと張ってそばのサツキの植え込みのなかへ。

暖かくなってきて、いろんなものが出てくるように。

こちらは忍足で退散。

2011年5月17日 | カテゴリー : 地域 | 投稿者 : sentoku

我聞会 5月例会

5月16日(月)

昨夜は住蓮寺にて呉東組我聞会。

今月より毎月開かれることに。

『蓮如上人御一代記聞書』の103、104条の輪読。

103条の

今日の日はあるまじきと思へ。
(今日という日はないものと思いなさい。)

との蓮如上人の仰せ。

「明日という日はないものと思いなさい」と言うのなら分かるが、「今日という日はないものと・・・」。
それは、今日という一日もないと思い、今という一瞬を生き、何でも今すぐやっておきなさいというこころであろう。
大切なことであっても、どうしても延ばし延ばしにしてしまいがち。
刹那刹那を大切に。

ちなみにこの刹那(せつな)、仏教での時間の概念で、きわめて短い時間を表すことば。

その後、質問で「信心」とは?、信心を得るとは自力的な言い方なのか?などという質問が出た。

信心、念仏が通じなくなってきている。
信心とは南無阿弥陀仏である。これがなかなか現代には通じない。
それを問われたとき、何と答えたら良いのか。

やはり、信心とは何かと問われると、「願い」だと私は答えるだろう。
如来の願いをこころにいただくことが信心。
その願いが南無阿弥陀仏と口に現れる。

これを石泉僧叡和上は「法相(ほっそう)の表裏(ひょうり)」ということばで現した。
信心も念仏も如来より届いた願いである。

2011年5月17日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku