5月1日(日)
今夜は、専徳寺で月に一度の法中会。
今回も議題の中心は東日本大震災に関連したこと。
そのなかで、「義捐金」と「義援金」の違いについても触れられる。
「義捐」とは、明治時代に作られた和製漢語。
「義」は、正しい行い。公共のために力を尽くすこと。
「捐」は、すてる、すてさる。
「義捐金」とは、正しい行いのため、公共のために捨てる金を意味するのだと。
それが、戦後の国語改革のなかで、「捐」が当用漢字に採用されなかったため、「義えん金」と表記するように。
今使われている「義援金」という表記は、新聞協会による独自の基準で定めた言葉だそう。
ただ、現在一般的には「義援金」で認識されている。
そこで、分かりづらい表現をとらず、「義援金」と表すことに。
呉東組で今日の法中会に集まった義援金は、
3,757,500円
組内16ヶ寺で震災以来それぞれに集め、持ち寄った額である。
専徳寺では、3月の春季彼岸会の法座中に、義援金箱を設置して集めさせていただいた
97,500円
を納めさせていただいた。
それと長浜仏教壮年会から10,000円。
今日集まったお金は、広島別院に届けられ、「浄土真宗本願寺派 安芸教区 寺院・門信徒一同」として、安芸教区全体より集まった義援金と一緒に、このたびは中国新聞社へ納められることに。
ただ、これで終わりではなく、第一回目。
これからも、引き続きそれぞれに募金活動を行っていく。
その助けとなるか分からないが、私の作った「願」のバッジ。
先日、組長(そちょう)さんに報告したところ、法中会で紹介して欲しいと依頼があった。
今日、法中のみなさんに紹介したところ、これを呉東組全体で取り組んでいこうと話をいただく。
その第一弾として、5月11日から呉東組750回大遠忌団体参拝に行かれる方の輪袈裟、式章に付けていただくことになった。
この「願」のバッジ。
今の日本人にとって、一番求められているのはカタチ。
放射能などの目に見えないものに対する不安、先の見えない不安。
見えないものに対する不安があるからこそ、目に見えるものに安心感を覚える。
だからこそ、「願」というバッジでカタチにしてみた。
5月に150名ほどの参拝者が、胸に「願」をいただいて本山に。
相手を思う気持ちを大切に。
ともにがんばろう。