4月12日(火)
午後から青空に誘われて野呂山まで。
野呂山の桜も今が満開。
太陽の光をいっぱいに受け、光り輝いている。
写真愛好家の方にとっても、今日は撮影日和。カメラ片手に桜を追う姿が見られた。
桜といえば、親鸞聖人の得度の前に読んだといわれる
明日ありと思ふこころの仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは
を思い起こすが、
花に染む 心のいかで残りけん 捨て果ててきと 思ふわが身に
と、出家してもなお桜を愛し、
願はくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ
と、生涯桜とともにあった西行法師。
その西行庵のある吉野の桜を訪ねて、学生時代に一度だけふらっと行ったことがある。
満開の下の千本から一人歩いて行くと、中の千本を過ぎた当たりから人がまばらに。
すると、1羽のウグイスが飛んできて、私の目の前の枝に止まり鳴き始める。
それからしばらく、私の前を前を飛び移っては鳴き、数百メートルそれが続いた。
まだ、その頃は蓮如上人のウグイスの話を聞いたことがなく、「法、聞けよ」と聞くことができなかった。
毎年のように野呂山の桜を見に来るが、桜を見るたびそのことを思い出す。
思い出すということは、その声を今「法、聞けよ」と聞いてるのだろうか。
『阿弥陀経』の「今現在説法」のこころである。