3月6日(日)
今夜は、ここ専徳寺で呉東組の50歳までの僧侶の勉強会「我聞会」が、雨の降るなか開かれた。
現在、会員は8名。
組内の若院さんたちが京都からだんだんと帰ってきて、そこそこメンバーが増えてきた。
気がつけば、会のなかで最年長である。
住職同士は、いろいろな行事で顔を合わせることが多いが、若院の世代になると、組内での情報交換、交流の場が少ない。そんなこともあって、組内交流の場となる唯一の会である。
例会は輪読と法話。
【輪読】は、『蓮如上人御一代記聞書』を2条ずつ読み進んでいる。
今日は99条、100条。この『聞書』を読み始めて、50回目を迎える。
99条の
久遠劫より久しき仏は阿弥陀仏なり。
を現代語訳では、
阿弥陀仏は、はかり知れない昔からすでに仏である。
としているが、『浄土和讃』に親鸞聖人は、
弥陀成仏のこのかたは いまに十劫とときたれど
塵点久遠劫よりも ひさしき仏とみえたまふ
と説かれ、この「よりも」に注目すべき点があることに気づいた。
実はこれ、先月読んだ宮沢賢治の『ひかりの素足』に出てきた「にょらいじゅりょうぼん」。
そこから学んだことである。
【法話】は、若い方が中心なので、担当者が自らの法話の題材について話をし、そこから情報交換しようということで始まったものである。
今回その当番にあたり、近江商人の話を司馬遼太郎氏の『近江街道を行く』、五木寛之氏の『日本人のこころ』の一節をまじえながら話をさせていただいた。
この「させていただく」の話であった。