専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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11月18日(月)
今朝は広南小学校読み聞かせ。
担当は2年生。
前回『火の鳥』をこの2年生で読んで、そのあとずっと他の学年でも読んできた。
まだ5年生を担当していないので、そこだけ読んでいないけれど、久しぶりに違う絵本を読むことに。
教室に入ると、後ろの壁に、「ふしぎな魚」と題して、思い思いの魚の絵が貼ってあったので、ちょうどよかったかも。
読んだ絵本は、
『クジラがしんだら』 (江口絵理 文・かわぐちしゅんいち 絵)
深海は、日の光が差さず、生きものが少なく、食べ物が少ないところです。
ところがごくたまに、突然、上から巨大な食べ物のかたまりが降ってくる。それが、命を終えたクジラです。
クジラの体は、長ければ100年にもわたって、そこに集うさまざまな生きものの命を支え続けるといいます。
本作は、深海という厳しい世界にくらす生きものたちの、しられざる大宴会を描いた物語絵本です。
私たちの目には見えないところで、何日も何年も食べることができないで生きている生きものたち。
鳥羽水族館でダイオウグソクムシが5年も絶食したまま亡くなったニュースが以前あった。
何と、グソクムシは、一度に自らの体重の45%のエサを食べてしまうのだと。
《参考》NHKサイカル(https://www3.nhk.or.jp/news/special/sci_cul/2023/04/story/oogusokumushi/)
私たちの目には見えない海の底で繰り広げられる命の物語。
無事終わって廊下を歩いていると、大きなヘチマが。
その向こうに見える光景は、昨夜放送の『海に眠るダイヤモンド』に隣の広南中学校で撮影されたシーンと一緒。
午後から真徳会館の報恩講へ。
11月9日(土)
先週の連休が忙しかったせいか、今日は法事が一件の予定だったため、法務員に任せることに。
疲れ気味の声を休ませることは出来たけれど、法事が休みでもやることはいっぱい。。。
先日、届いた荷物をようやく開封。
これまで年末の仏教壮年会の境内清掃の時に、会員の方に屋根に上がってもらって屋根や雨樋に溜まった落ち葉を取り除いていただいてた。
でも、数年前から危ないので無理のないようにと控えめに。
すると、落ち葉がどんどん詰まってしまうので、何とか屋根に上がらずに落ち葉の清掃が出来ないかと、いろいろ探していて、あった!これ!!と思ったものを注文。
今年はマキタのブロア・集じん機を購入し、そしてサンダー。
マキタ製品はバッテリーさえあれば、いろんなものに使えるため、あれもこれもと。
それを「マキタ沼」というらしい。
いよいよマキタ沼に足を突っ込んだみたいで、雨樋ノズル、そしてそれに必要なブロア、アタッチメントを注文。
すると、雨樋ノズルが生産終了になったため、在庫がないとの連絡。
他の店でも注文してみたが、同じく在庫なし。
3件目、ひょっとしたらと思いながら注文したら、ご注文承りましたと。
すぐにインターネット上では「売り切れ」。
最後の一つだったのかな。
とりあえず、開封して組み立て、
ノズルが3本あるけれど、とりあえず1本で。
試してビックリ。
かなりの風圧でしっかり持っていないと、ふらふらっとよろけてしまう。
生産終了となったのは、そのせい??
ただ、古いイチョウの葉が舞ったので、かなり落ちたのではないかな?
と言うより、落ちてくれていればいいなと。
その他、草刈りなどすると、すぐに時間が。
明日は筋肉痛かも。
11月8日(金)
あれだけ汗ばむ陽気が続いていたのに、急に冷え込んで。。。
これまでなら、9月、10月、11月と、徐々に体が慣れていくのに。。。
菩提樹の葉に白い葉??
気になって調べたら、すぐにウラギンシジミと判明。
初めて見た。
と言うか、これまで気にも留めなかったのかも。
今日は午前中、広本町の通り報恩講。
もう限界に来ている50ccのスクーターに乗って。
来年春に法改正で新基準原付(125cc)になるとかで、頑張ってそこまでは持たせたいなと。
とりあえず、今月いっぱいは。
午後から総代さんに集まっていただき、呉市文化振興課と石泉文庫補修事業の打ち合わせ。
そして、夜は仏教壮年会の11月例会。
来月は蓮作りが予定されているため、今日で今年最後の『歎異抄』。
本日は第十二条。
この条はとっても長いので、「学ぶ」「愚者になりて往生す」、そこに絞って。
「もっと若いうちに勉強しておけばよかったと、今になって思うことが多い。」
と感想が。
でも、今になって気づくのも、一つのご縁。
「周囲の人に迷惑もかからず御法義に疵つかぬことなら、私は自殺したい」これは身の上相談をしたあとで、大抵のの人がいいそえられた言葉である。
この世を無事なもの、平穏なものと、かねて思うていらるるから、たまたま苦しい事に出会うと、自分だけかと思い僻んでスネ言葉を吐かれるのであろうが、苦しいことや悲しい事は誰にもある。珍しいことはすくない。
堪え難い苦しみ、忍びがたい悲しみの一つずつが人間学校の進級試験である。
いかなる難問に出くわしても、狼狽せず、ジッとおちついて工夫しているとよい答案を考え出すものである。
人生の面白みも、仏教のありがたみも、ほんとうは老境に達してからはじめて理解るのである。なんにもわからないうちに死ぬのはおしいことである。
自殺どころか、みなさん御身を大切にして八・九十までいきてください。
ネットで、甲斐和里子さんの言葉として、「人間学校の進級試験」が紹介されていた。
どれも「本の中に『人生は人間学校』という章がある」とだけ紹介されていて、何の本かが分からない。。。
でも、そうだなぁと思って紹介。
ようこそのお参りでした。