専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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3月10日(火)
小雪がちらつく寒い一日。
午後から仁方の浄徳寺において、呉東組聞名講。
3月はこの一年間に亡くなられた講員の方々の追悼法要。
組内各寺住職が聞名講のお揃いの色衣・五条を着けて、『阿弥陀経』のおつとめ。
川尻真光寺御住職の法話の後、御示談。
今日は御遺族の方もお参りに来られており、本堂がいっぱいに。
講長はじめ、役員が代わり、御示談がスムーズに進むようにと、始まる前にアンケートを採ってくださった。
法事はどうして行うと思われますか?
一、故人の供養のため
一、生きてる私が仏法に遇うため
一、決まってるから仕方ない
3択のうち、「故人の供養のため」と答えた方が15、「生きてる私が仏法に遇うため」が37、「決まってるから仕方ない」が0という結果。
今日のご法話、御示談を通して、1番目の答えから2番に変わったかな。
その後は、金封の水引と表書きの質問など。
最後に組の大先輩より、御示談は法義示談。
今日は仏事に関する質問ばかりだったけど、昔は安心、後生の一大事に関する御示談だったと。
以前は、喧嘩腰の御示談もあったと聞いている。
熱心な御同行が多く、「ありゃぁ、こういうことよ。○○先生がようゆうとった」とのご助言があったりもした。
でも、ここ最近は時代の流れもあり、おとなしく・・・。
仏事に関することでも、何でもいいから、そこから御安心の話に結びつくのがいいのだろうけど・・・。
何はともあれ、「声かけ同行」。
みんなで声かけあって、お聴聞していたら、御安心の話に花が咲くかも。
寒いなかをようこそのお参りでした。
3月9日(月)
雨。
今朝は広南小学校読み聞かせ。
担当は、1、2年生合同。
今日読んだ本は、『じごくのそうべえ』。
2年生教室へ向かい、「1年生の教室へ移動してください」と。
みんなが揃ったところで、カバンの中から本を取り出して見せたところ。
「はんたい!」と。
本を逆さまに取り出したよう・・・。
それも、今日の本のご愛敬・・・。
みんな、この本はよく知っているよう。
絵本の冒頭に、桂米朝さんの
〈じごくのそうべえ〉によせて
上方落語〈地獄八景亡者戯〉―古来、東西で千に近い落語がありますが、これはそのスケールの大きさといい、奇想天外な発想といい、まずあまり類のない大型落語です。
これを絵本に・・・・・・・という企画を聞いた時、これは楽しいものになると思いましたが、えんま大王、赤鬼青鬼、脱衣婆、亡者・・・・いずれも予想に違わぬおもしろさです。
むかしは、地獄極楽のおはなしは老人が孫に説いてきかせたものでしたが、今日では、もはや断絶・・・・・・・という状態ですね。
えんまが舌をぬいたり、三途の川や針の山の知識が消滅してしまったら、落語もやりにくくなります。この絵本がその穴埋めをしてくれたら・・・・と念願している次第です。
のことば。
嘘をついたら閻魔さまに舌を抜かれる、悪いことをしたら地獄に堕ちる。
知識の消滅だけでない。
小さい頃に聞いたこうした話が、少しでも残っていれば・・・と思うような事件を聞くこともなくなるのかな・・・。
今日の絵本は、先日読み聞かせにといただいた本の中の一冊。
好きな絵本は、何度でも良いみたい。
ただ、昨日は朝から夜まで、目一杯声を使っての月曜の朝。
関西弁での読み聞かせは、たまにでよいかな・・・。
3月8日(日)
青空の広がる日曜日。
広南中学校では卒業式。
今夜は仏教壮年会の例会。
平成26年度最後の例会ということで、呉東組実践運動の重点テーマ『浄土真宗における儀礼の意義』を、自分なりに総括して本日のテーマに。
「葬式」のあり方がいろいろと様変わりする中で、もう一度見なおしてみようと。
家族葬、直葬、0葬など、いろんな言葉が次々と聞かれる。
葬儀社によっては、「直葬」と記さず、「直送」と記してあるところもあったり。
事情があって、そうされる方もおられるので、すべてを否定することはしないが、今一度その意義を・・・。
「葬」という漢字は、「艸」+「死」+「艸」。
これは草木で厚く死者を包んで覆ったことに由来するのだと。
それでは、「死」は?
ということで調べてみると、「歹」+「匕」。
「歹」は骨の断片(残骨)、「匕」は人を表しているそう。
そこから、大きく分けて2つの見方が出てきた。
1つは、「人」が「骨」になる。これが漢字「死」の由来。
もう一つは、「匕」とは人が拝する姿。残骨を拝する姿が漢字「死」の由来。
仮に後者だとすると、大きな意味がそこにくみ取れる。
独り命を終えていくのではなく、その姿を看取ってくれる人が「死」という字にはあるんだなと。
もうすぐ3月11日。
これに関連して、絵本を読む。
岩手県大槌町の風の電話ボックスという、実話をもとに作られた作品。
ねこさんが やってきました。
ねこさんは いのるように じゅわきを とりました。
「もしもし、かみさまですか?
かみさま、おしえてください。
ひとは なぜ しんでしまうのですか?
なぜ うまれてきたのですか?
いきるということ、
しぬということは・・・・・
どういうことですか?
おしえてください・・・・・かみさま」
こんなシーンが登場する。
「かみさま」が教えてくれるかどうか分からないけれど、「ほとけさま」は教えてくれる。
3月11日。
亡くなられた方々を拝し、我が「いのち」をふりかえるご縁に。
3月4日(水)
呉東組内、阿賀の宝徳寺の前坊守様がお亡くなりになり、本日葬儀。
昨日の通夜は、冷たい雨が降り、白い息を吐きながらの読経。
今日は雨も上がり、快晴。
でも、寒いお葬式。
最近は会館葬がほとんどで、開け放たれた本堂で白い息を吐きながら読経することが珍しくなったな・・・。
一昨年亡くなった前住職(父)と同い年の前坊守様。
お浄土へ往かれたとはいいながらも、やっぱり有縁の方との別れは何とも寂しい。
ちょっと前に、御住職から、本堂の仏華は前坊守様がされているという話を聞いた。
そんなことをお内陣を見ながら、ふと思い出す。
お育ていただいた本堂の阿弥陀さまの前で、こうして有縁の方と一緒に迎える最後のご縁。
最近の葬儀事情と併せて、つくづく有り難いご縁だなと。
合掌